スポーツの常識とされるものが、そもそも政治的に偏っている

過去を振り返れば、1968年のメキシコオリンピックでは、男子200メートル決勝で優勝したトミー・スミスと3位のジョン・カーロスというふたりのアフリカ系アメリカ人選手が表彰台で黒革の手袋をはめた手を突き上げ、黒人差別に対する抗議を示す出来事があった。このとき2位に入ったオーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンは、彼らに連帯の意を示してOPHR(Olympic Project for Human Rights:人権を求めるオリンピックプロジェクト)のバッジを胸に表彰台へ登壇した。スミスとカーロスは「オリンピックで政治的行動を取った」としてナショナルチームから即日除名されて選手団からの追放処分を受け、ノーマンも以後の選手生命を絶たれた(2019年にはアメリカ合衆国のオリンピックパラリンピック委員会がスミスとカーロスの殿堂入りを発表し、正式に名誉が回復された。一方、オーストラリア人のノーマンは名誉回復がないまま2006年に死去し、2012年にオーストラリアオリンピック委員会がようやく正式に謝罪を表明した)。

この事例は50年以上前の出来事で、競技の晴れ舞台で自分たちの権利獲得に声をあげた選手たちが名誉を回復するまでには半世紀の時間を要したが、スポーツと社会の「あるべき関係」に対する世間の理解は、この50年で大きく変わってきたことは間違いない。とはいえ、今もなお「スポーツに政治を持ち込まない」ことをよしとする風潮は、とくに日本ではまだ根強い。

たとえば、自らの性的指向を明らかにするアスリートに揶揄や好奇の視線を向けるようなことはさすがにないとしても、もしも彼ら彼女らが同性婚を求めるような発言をすれば、それはたちまち「政治的」主張をしたとみなされるにちがいない。

では、スポーツの場における「政治」とはいったいどういうことなのだろう。本来、天賦のものであるはずの基本的人権の平等性を求める声や、歪んだ権利状況に対する異議申し立てが、なぜ「政治的」と見なされてしまうのか。

「スポーツには〈政治的零度〉(ゼロ座標)、のようなものがあると思うんですよ」

つまり、グラフの縦軸と横軸が交差する原点のような場所にスポーツがある、というのが山本氏の主張だ。

「座標面の縦軸と横軸は何でもいいんですが、そのどこにも偏っていない政治的に純粋な零度の場所にスポーツはいなければならない、と一般的には理解されているのだと思います。

たとえば、パブリックビューイングで皆が日の丸を振ったりニッポンコールの大合唱になったりすることは、じつは国別に競う近代の政治的枠組みですごくナショナリスティックな表現なんですが、それは政治だと言われませんよね。ほかにも、男女別に競技を行うことだって、これはヘテロセクシュアリティが正常であるという近代が作り出した規範的なジェンダー二元論の政治です。でも、ナショナリズムや、ヘテロセクシュアルを正常だとするありかたは〈政治的零度〉の位置にあるので、純粋で自然なものだと見なされている。

つまり、この〈零度〉の位置がすでに偏った政治であり、そこは政治的に真っ白だという前提がスポーツの中にあるので、それを修正したいと思って少しでも座標を動かそうとすると『政治的行為だ』と言われてしまう、というわけです。

でも、その零度の位置にあってスポーツの常識とされているものが、多様化する社会のなかでそろそろ耐えきれなくなってきている。だから、その零度の位置は果たして妥当なのかどうか、と我々は繰り返し問い直していく必要があると思います」

この、政治的零度の位置を動かそうとしない近代スポーツという保守的なシステムが、スポーツそのものをスポーツウォッシングしているのではないか、とも山本氏は言う。

「世の中の不都合をスポーツという〈正しくて良きもの〉で彩って見えなくさせていく、それがスポーツウォッシングの作用と言えるでしょう。今はそのスポーツ自体にいろんなほころびが生じているんですが、それが見えないように、近代が作り上げた〈理想的〉な状態を維持し続けようとしている。だから、『スポーツに政治を持ち込んではいけない』、という主張は、スポーツがスポーツ自体をスポーツウォッシングしようとする動きの典型例なのかもしれません」

この「スポーツに政治を持ち込まない」というお題目は、現代では選手たち個々人の行動や発言を規制する方向で作用している。だが、これはそもそも国家によるスポーツの政治利用を抑止しようとするための規定だった。

「スポーツと政治を結びつけるのはよくないことだ、という風潮が明確に共有されるのは、ひとつはナチス(1936年ベルリン五輪)があったからです。もうひとつは、冷戦時代の東西のイデオロギー対決。五輪憲章の、スポーツの現場で政治的な表明をしてはいけませんよというルールは、国家や元首などの大きな政治システムを想定して、そのスポーツ利用を禁ずるために作られたもので、IOCにとって〈政治〉とはマクロな政治のことだったんです。

ところが、やがて政治はミクロなものも含むようになってきて、フェミニズム運動や環境運動や反核運動など、多様な政治イシューが60年代後半に出てきました。それとシンクロするような形で1968年メキシコ五輪ではスミスさんやカーロスさんたちの〈アスリートアクティビズム〉が起こるようになる。だから、IOCも当初はブラックアスリートや人種的マイノリティがスポーツの場面で社会運動を起こしていくとは想定をしていなかったと思うんですが、75年にそれを禁止(五輪憲章規則50)するんです。だけど、IOCはそれをもう受け止めきれなくなって、緩和するべきかどうかという議論が2020年頃に始まった、という流れです。

1960年代にスミスさんやカーロスさんたちが起こしたアスリートたちのアクティビズムは、いろんな抑圧を受けて水面下に潜行していきます。それが2010年代に再び浮上するのは、新しいソーシャルメディアの登場と大きくかかわっています。スミスさんやカーロスさんはツイッターなどのSNSもやっていて、若い世代が何か行動を起こすとすぐに応援メッセージを出すんです。だから、SNSは50年間潜在していたものをもう一度、社会のなかに繋ぎ直すメディアとしての役割を果たしたのかもしれませんね」

日本のアスリートたちも、長い時間が経過すればやがていつかは〈ソーシャルなアスリート〉になっていくのだろう。だが、現状ではまだ、社会と関わっていこうとする積極的な発言や行動はほとんど見られない。むしろ、「感動を与える」「スポーツの力」といった十年一日のかわりばえしない常套句に終始することのほうが圧倒的に多い。世の中と繋がろうとしない現在のような状態では、アスリートたちはもはや子供や若者、そして社会全体の規範たるロールモデルたり得ないのではないか。そう訊ねると、山本氏も同意を示す。

「もう難しいですよね。社会がますます複数化して多様化してゆき、いろんな差異がある状態で皆がそれぞれ生きていくことをよしとしよう、という方向へ向かっている中、その世の中の矛盾に無批判でいられるような人はロールモデルにはならないですよ。

〈スポーツの力〉という、なんだかわからない表現にしても、そりゃあスポーツには確かに力がありますよ。ナチスだってロシアだって〈スポーツの力〉を知っています。だからスポーツをウルトラナショナリズムの有効な道具にしたのです。アメリカだって知っていますよ。でも、その力は不均衡な社会のあり方を変えていく力にすることだってできる。キャパニックや大坂なおみさんたちは、まさにそれをしようとしているわけです」

また、たとえ積極的に発言し行動を起こしたとしても、現代社会では、かつて1968年にスミスやカーロスが味わったアスリートとしての名誉剥奪のような目に遭うことはないだろう、とも山本氏は言う。

「今は過渡期なのかもしれませんが、発言できるチャンスやメディア環境が揃っているし、たとえそれで何か炎上するようなことがあったとしても、アスリートたちを支えてバックアップしようとする声も必ず上がってきます。大坂なおみさんはよくインタビューで『私はテニス選手である前に、ひとりの黒人女性です』と言うじゃないですか。自分が生きてきた環境があってテニスがあって、そのふたつは切り離されないものなんだ、という言い方をしますよね。ああいう姿勢は、とても大事だと思います」

そして、そのアスリートたちの発言の際に見逃せないのが、〈ポリティクス(政治)〉ではなく〈ヒューマンライツ(人権)〉という言葉を積極的に使用している点だという。

「政治という言葉に回収されると、自分たちの社会運動や主張したいことが過剰に抑圧されてしまう。政治ではなく人権の問題なんだ、と言ったほうが多くの人の理解や共感も得られる。ヒューマンライツという言葉を用いるのは、彼らが編み出した戦術なのだろうと思います。

振り返ってみれば、スミスさんとカーロスさんが1968年のメキシコ五輪でやっていた運動には『人権を求めるオリンピックプロジェクト』というタイトルがついていました。あの当時からすでに、アスリートたちは人権という言葉を強く押し出して使っていたんですよね。そして今また、人権という表現がアスリートたちの中で使われるようになった。大坂なおみさんは彼女の主張や表現はヒューマンライツにかかわる事柄だと言いますし、サッカーW杯もヒューマンライツの問題として注目されました。1968年のメキシコ五輪から東京五輪や北京の冬季五輪、そして今回のサッカーW杯ワールドカップまで見ると、アスリートたちによるアクティビズムのキーワードとして共有されているのは、人権・ヒューマンライツという言葉なんです」