エロ本の処分だって立派な終活
先日、知人に誘われてとある食事会に赴いた。参加者はみな80代のご老体。主催者であり脳梗塞経験者である筆者の知人が「あとどれくらい生きられるかわからないから、お世話になった人に少しずつ会っていきたい」という裏テーマのもと開催されたプチ同窓会だ。
参加者の中で筆者はひとり40代だったが、ライター業に従事しており、性をテーマに取材をすることも多い。その物珍しさから会合に話題を提供することを期待されて、声をかけられたようだった。そして、知人の思惑通りか、お酒が進むとトークのテーマは「シモ」のほうに向かっていく。
ある参加者がこんな話をしていた。その方はすでに妻を亡くし、10年ほど経っているのだが、愛読しているエロ本問題に頭を悩ませているというのだ。
「実は若い頃から裏本を収集するのが趣味で……私が死んだ後に遺品整理で家族にバレたら嫌じゃないですか。特に娘にはバレたくない。かといって、100冊以上あるので処分にも困ってるんです」
そのコレクションの中には「金閣寺」(1980年代に誕生した日本初の裏本)もあるということで、筆者がそれらすべてを引き取ることを提案すると、その参加者はたいそう喜んでいた。筆者はこの酒宴に参加して、なるほど、そういう終活もあるんだなと思わされた。
性に関する終活は収集したエロ本の処分にとどまらない。元気で体が動くうちに男としてもう一度、奮い立つ機会をつくりたいと考える高齢男性は少なくないようだ。
筆者は過去に上梓した『高齢者風俗嬢』(洋泉社)という本の取材で高齢風俗嬢だけでなく、高齢男性の風俗利用についても話を聞いた。なかには、男やもめとなって手料理が恋しくなったことから週に1度デリヘルを利用し、卵焼きを作ってもらったり背中を流してもらったりした後にプレイにのぞむ男性もいた。
このような取材から、ただ単純に性欲を満たしたいのではなく、いくつになっても異性の温もりを感じるためにプロのサービスを求める男性が少なからずいることを知った。
そして先日、人生の夕暮れ時を迎えている90代の男性とパパ活、いや、男性の年齢を考えると“ジジ活”と呼ぶほうが適切だろう、その関係にあった50代の女性の話を聞く機会に恵まれた。