子供の有無とは
関係なくある母性
堀江 とくに印象深い場面があるんです。単身赴任中の既婚者との不倫を知った平井が、菅沼に、子供ができたらどうするのかと問う。菅沼は「できないよ」と二度繰り返す。理由は言わない。このやりとりが、菅沼は避妊ではない文脈で、本当に身体に空洞を抱えているのかもしれないと、読み手に想像させます。ということは、3Dプリンターとは菅沼にとって、子供を作るための装置なのかもしれない。母性という言葉が適切かどうかわかりませんけれど、でも、母性としか呼べないようなものがあの二人の行為から感じ取れる。それが最初に言った温かさということなんです。
大谷 母性に関しては、あの二人に確かにあることは意識して書きました。私自身、家でスヌーピーのぬいぐるみに布を巻きつけて、赤ちゃんを抱くように抱いてみたことがあるんです。そしたら、すごくかわいくて、自分の中の母性をより強く感じたんです。きっとこういうふうに女性は母親になるのかなと思って、その経験をラストシーンに生かせないかなと思って書きました。
堀江 子供がいる、いないということとは関係のない、純粋形態の母性の存在を感じました。今のお話の、ぬいぐるみを心臓の近くに寄せたときに出てくる感覚は、生き物としての自然な反応かもしれませんが、この作品が言おうとしている母性は、具体的な赤ちゃんの代替物を抱くことで出てくるものではなくて、もっと違う形の、この二人の間だけに成り立つような母性の交歓のようなものだと思ったわけです。最後のシーンは、互いにとっての母性というものが一致した瞬間。そんな感じがしました。
大谷 そんなふうに深く読んでいただけて、すごくうれしいです。
書く習慣の中で
生まれてくるもの
堀江 大谷さんは受賞後に、社会の真ん中ではなく、周縁にいる人たちを描いていきたいとおっしゃっていたけれど、書きたいと思ったきっかけが何かあったのですか。
大谷 最初に百枚ぐらいの小説を書こうと思ったのが高校三年生ぐらいのときです。そのときに一番自分の興味の対象だったのが、クラスでちょっと浮いているような子でした。その子と話をしてみると、思いやりがあって、むしろ共感性がすごく高いのにもかかわらず、どこか会話のやり取りが不器用だったり、ちょっとずれるというだけでクラスから白い目で見られてしまう。そういう齟齬がどうして生まれるのか分からなかったし、そんな子を受け入れられないクラスも何なんだろうと疑問に思って。それが書いてみようかなと思った最初のきっかけです。
堀江 なるほど。でも、この『がらんどう』の二人を、周縁にいる人物だとは感じなかったですよ。周縁の人物だと言いながら登場人物としてまわりの人間を周縁に寄せています。世間から弾かれているというより、むしろ会社の同僚のほうが分かってない。だから、大谷さんが抱いた違和感や齟齬は、マイノリティーとしての人物たちではなく、何かを書こうという人が感じるものだと思う。その違和感を自分の中でないがしろにしないで、実際に書くという行為と結びつけ、何年も持続するのは、なかなかできないことです。今まで書き続けてこられたこと、そこがまずすばらしいと思います。
大谷 うれしいです。そう言っていただけて報われたような気持ちがしました。昔から書くことが習慣になっているので、そのときそのときに一番興味があるようなことを捉えて書いていくのを続けられればいいなと思っています。次は、また働いている女性の話を書こうと考えています。
堀江 それは楽しみですね。
大谷 ありがとうございます。書くうえで何かアドバイスをいただければと……。
堀江 いや、もう何もないです。こういう仕事をしている人ってみんな“がらんどう”なので(笑)。
大谷 そうですか(笑)。
堀江 ただ、それを悪いほうのがらんどうにしないようにすることですね。そういう力がおありだと思います。その都度の作品に、ご自身が感じている空気が意識せずともどんどん入ってくるはずなので、次はこれを書かなければと堅苦しく考えずに、習慣の中から生まれてくるものに従うほうが大谷さんの呼吸に合っているように思います。まず作品ありきです。書いてください。
大谷 はい、よくわかりました。書くことを継続していきます。今日はありがとうございました。