「世界的な大事件」にも「トラックに踏まれた空き缶」にも
平等に時間が流れる

――ムダを楽しむ余裕があるからこそ見つかるものがこの本に詰まっていますよね。効率重視だと息苦しいし、いっぱいいっぱいで気付かないことも多いのかなと思います。

この情報化社会ですからね。ネットからものすごい量の、実のあるもの、ないものも全部、やってくるので。効率化の最たるものって、ネット記事の釣りのタイトルだったりもするし。それで情報を得るのは効率がいいように見えますけど、そういう情報って結局、どんどんこぼれていっちゃうじゃないですか。沁みないっていうか、わかったような気にはなってるけど、実は表面を流れていってるだけっていうことが多くて。

まあ、この本が絶対に沁みるとは言えないですけど(笑)。ムダなぶん、響くところは響くっていう側面はあるのかと思いますね。

ピエール瀧が東京23区の夜を「ムダ上等」で徘徊して見つけたもの「全部のものに平等に時間が流れていることは、残酷でもあるし、美しくもある」_2

――時間をかけずに入ってきた情報って、その分、出ていくのも早いですよね。

たとえはいいかわからないけど、性風俗と同じですよね。

――(笑)。徘徊中に登場する人たちも面白くて。コロナ禍でも強く生きている人たちの言葉に触れると、こういう厳しい時代には、それまでもしっかり軸を持って生きてきたかどうかが問われていると感じました。

そうですか? 褒めすぎじゃないすか(笑)。

――ほんとですか(笑)。コロナ禍を乗り越えた銀座で働く方々とか、すごくたくましくて。

確かに、売るほどバイタリティのあるような方々に会うと元気が出ますね。ただ、夜に歩いてるんで、コロナはあまり関係なかったりするんですよ。ムダの話にも通じますけど、バイタリティがある人からすごくいい話を聞いている時間や、地球の裏側で大事件が起こっている同時刻に、つつじの木にビニール傘が突き刺さってたりするわけじゃないですか。

そこに、味わいがあると思うんですよね。全部のものに平等に時間が流れていることは、残酷でもあるし、美しくもあるというか。コロナ禍に限らずですけど、みんなが大変な時でも、トラックに踏まれたペしゃんこの空き缶は何年も国道に転がってたりするわけで。

そういうものにも全部、等しく時間が流れていることに思いを寄せると、味わい深いですよね。