家族と相談した結果、どうしても行くなら単身でということになり、日高さん一人で大森町に移住、開業。1年半、パンの製造販売に孤軍奮闘する間、時々様子を見に来た直子さんは、町にすっかり馴染んだ日高さんの様子に、自分が行くしかないんだと思ったという。

「もろ手を挙げて賛成して来てくれたわけではないので、『今でも私は納得してない』と言われる時があります(笑)」(日高さん)

今、夫婦で営むパンとお菓子の店「ベッカライ&コンディトライ ヒダカ」は、カフェも併設。さまざまな媒体で紹介され、ここを目指してわざわざ県外から来る人も多く、休日には行列ができる人気店となった。家族は次男・周(あまね)くん(5)も加わり、更に賑やかになった。

「田舎で暮らしたい」「なぜ? やめなさい」…それぞれの パートナーからは意見も。ヨーロッパ生活を経て石見に移住した二人の青年の幸福とは_5
最初は「ドイツパンの店」というふれこみだったが、地域のニーズや恵みも取り入れ、あんぱんや近所に成る果実、山菜を使ったパンなど、オリジナルな味を揃える

「30年、40年前だったらここでの商売は難しかったと思います。でも今、SNS上ではどこにお店があろうと横並び、フェアです。かえって東京で『ドイツパン屋』をやっても目立たず、埋もれているかも。ここだと競合して勝負しなくても、地域で有難がられるんです」(日高さん)

大森町への移住、見知らぬ町でのビジネスについて、次のように話してくれた。
「僕は行った先、住んだところを全部好きになるタイプで、どこでも『第二の故郷』と思えます。ここよりもっと田舎の邑南町に、空き物件になったパン屋さんがあって、30歳位の青年がやることになり、事前に僕に挨拶に来ました。

僕は『身一つで一人で来たらいいよ』と伝えました。僕もそうだったんですが、一人だと、ご飯食べにおいでとか、周りが気にしてくれてつながりができる。それを受け入れてありがとうと思える人ならやっていけると。彼はその後、頑張って美味しいパンをつくって人気店になり『日高さんの言った通りでした』と。僕の後輩みたいなものですね」

「田舎で暮らしたい」「なぜ? やめなさい」…それぞれの パートナーからは意見も。ヨーロッパ生活を経て石見に移住した二人の青年の幸福とは_6
最初に工事中の店を見せてもらった時から「ここなら面白いパン屋ができる」とスイッチが入り、ひたすら自分のパン作りに励んできた日高さん。
すべての画像を見る

人生の冒険を続けているかのような日高さんからの、移住を考えている人へのアドバイスだ。
「知らない土地でも飛び込んで、がむしゃらに頑張れば、見ていてくれる人はいます。全部揃えていこうと思わず、足りないものは現地調達するつもりで行って、困ったら『助けて』といえばいい。例えば僕なら、ドイツに行くのにドイツ語を覚えてから行こうと思ったらなかなか行けなかった。好奇心をもって進んでいけば、波長が合う仲間がきっと見つかると思います」

後藤さんと日高さん。職種は違うが中村ブレイスをきっかけに大森町へと引き寄せられ、地域の一員として働く二人の満ち足りた表情が印象に残った。

撮影/渡邉英守 取材・文/中島早苗

#1「一戸建ての家賃は東京の数分の1だが、電気代は3倍に。それでも山陰の集落へ移住した2組の家族が石見を「第二のふるさと」として愛せるワケとは」はこちらから

#3「限界集落の危機に瀕した町を蘇らせ、ベビーラッシュへ。石見銀山の町を救った2つの企業に問う、移住者とともに歩む未来」はこちらから