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石見銀山。江戸時代には20万の人口と1万3000軒の屋敷を抱え、全世界の3分の1の銀産出量を誇ったと言われる日本の中でも、トップクラスの銀山だ。そんな鉱山の町も1943年に銀山閉山後、急速に過疎化が進む。
しかし70年代、転機が訪れる。限界集落のはしりといった様相を呈するも、その頃から相次いで、集落出身の二人の青年が町に戻り、企業を立ち上げたのだ。

―戸建ての家賃は4万円だが、電気代は東京の3倍に。それでも山陰の集落へ移住した2組の家族が石見を「第二のふるさと」として愛せるワケとは_1
どこか懐かしい、石見銀山のある島根県大田市大森町の風景
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一社は義肢装具メーカーの中村ブレイス。もう一社が今回紹介する2組の人たちが働く、衣料品などを手掛ける石見銀山生活文化研究所(石見銀山群言堂〔ぐんげんどう〕グループ、以下群言堂)だ。

二つの企業は事業の成長と共に雇用を生み出し、地域再生にも積極的に取り組んできた。結果、魅力を取り戻した町に集まったのは観光客だけでなく、若者がIターン、Uターンで移住するようにまでなった。

大田市役所市民課によると、2013年1月から2022年12月まで、この10年間の大森町への転入者数は172人、出生者数47人。一時期は園児が2名にまで減り、存続が危ぶまれた町唯一の保育園、大森さくら保育園は23年春、園児が27名に増える。若い家族が働きながら子育てできる環境が整ってきたことも、転入、出生数が増えている要因だろう。

今回話を聞いた移住者は、群言堂で働く小野寺さん夫妻と、同じく群言堂社員の渡邉千絵さん、夫でフリーカメラマンの英守さん夫妻だ。