1960年代、日本は「若者文化の国」になった
団塊の世代の影響力が顕著になり始めるのは、彼らが10代後半を迎える1960年代後半。音楽やファッションなどのポップカルチャーが台頭した頃だ。
「団塊の世代は日本を『若者文化の国』に変えてしまいました。1960年代半ばから後半にかけて、音楽シーンは歌謡曲や演歌からロックやポップスに移り変わっていきます。たった数年間で音楽の主流が、橋幸夫や舟木一夫からザ・スパイダース、フォーククルセダーズ、さらにビートルズやローリング・ストーンズに変わってしまったのです。この変化は急激でした。
また、ファッションでは男性の長髪やジーンズが登場し、女性の間ではミニスカートが流行します。現在に繋がる若者文化が団塊の世代を機に一気に広がっていったわけです」
たしかに、団塊の世代は芸能や文化のパイオニアを数多く輩出している。
お笑いでは北野武(1947年)や高田純次(1947年)、音楽では矢沢永吉(1949年)や井上陽水(1948年)、細野晴臣(1947年)、作家では村上春樹(1949年)、北方謙三(1947年)、沢木耕太郎(1947年)。
そのほか、テリー伊藤(1949年)、糸井重里(1948年)、鈴木敏夫(1948年)、萩尾望都(1949年)、弘兼憲史(1947年)など、テレビ、広告、アニメ、漫画の各ジャンルを切り拓いてきた第一人者が名を連ねる。
現代の若者にも愛されるポップカルチャーの基礎は、団塊の世代が「数の力」を背景に築き上げたといっても過言ではない。
また、大量の若者の出現は社会の慣習やライフスタイルも大きく変えた。その象徴が「恋愛結婚」だった。
「団塊の世代が成人を迎える1960年代後半に、恋愛結婚と見合い結婚の割合が逆転しています。見合い結婚は封建的な古い日本社会の象徴です。それまでは『結婚したら好きになるわよ』と言われて、お見合いで一度会っただけの男性と結婚する女性も少なくなかった。それが団塊の世代で恋愛結婚が主流になり、恋愛や家族の形が変わっていきます。
『デート』や『ラブホテル』という名称が一般化するのもこの頃です。この変化は女性の意識の変化にも繋がります」
阪本氏は「団塊の世代を語るうえで女性の存在は見逃せません」と話す。1970年には「anan」(平凡出版、現・マガジンハウス)、翌年には「non・no」(集英社)が創刊され、初めて「女性誌」というジャンルが誕生した。それは従来の「主婦誌」「婦人誌」とは全く異なり、若年女性向けのファッションやライフスタイルを紹介し、「アンノン族」を生み出す。
その背景には「妻」や「母」という役割から抜け出し、主体的に恋愛や消費を楽しむ新たな時代の女性像があった。この頃を境に女性の大学・短大への進学率が上昇。1986年の男女雇用機会均等法の施行など、女性の地位向上の土壌を作っていった。