インディーズの聖地で前人未到のライブ数! 史上“最遅”武道館公演実現! 実はものすごいバンド、ニューロティカ
前回は、世代性別問わず多くのファンや友人を持つ、あっちゃんのコミュニケーション力の秘密についてお伝えした。最終回となる今回は、結成38年目にして初の日本武道館ライブや、いまも記録を更新し続ける新宿ロフトでのライブなど、ライブにこだわり続けてきたニューロティカとあっちゃんの軌跡について。(全4回の4回目)
ファンからご近所さんまで。取材中、藤屋にやってきた人たち
ニューロティカのヴォーカリスト“あっちゃん”ことATSUSHIへの取材は、2023年7月某日の午前中、店主を務める東京・八王子市の藤屋菓子店内でおこなった。
あっちゃんいわく「平日の午前中なら、どうせそんなにお客さんは来ないから」ということで設定したインタビュー&撮影だったが、取材中には何人かの客が来店。そのたびに取材は一旦中断し、あっちゃんが「はいどうぞー。いらっしゃいませ」と対応にあたった。
買い物にきたわけではなく、近くにあるらしい美容室の場所を聞きにきたご高齢の女性がいた。あっちゃんは小走りで店の前の道に出て、指差しながら丁寧に道順を教えた。
その人は美容室の帰りに、お礼がてらまた藤屋に立ち寄り、いくつかのお菓子を買った。あっちゃんは「綺麗になりましたね」と言いながら対応し、店の棚に飾ってある古いペコちゃん人形に目をとめたお客さんと、2020年6月に『開運!なんでも鑑定団』に出たときの話題でひとしきりおしゃべりしていた。

「藤屋のあっちゃん」の会話は、つねに当意即妙!(撮影/木村琢也)
ご近所の常連さんだという50代くらいの女性客は、お菓子を4点購入。あっちゃんは会計しながら、「この前はハガキ、ありがとうございました」と礼を言っていた。
彼女は昨年たまたまテレビのBS放送で、ニューロティカの存在を知った新規ファン。ご近所に昔からある、あのお菓子屋さんの感じのいい主人が有名なバンドのヴォーカルだということを改めて知って感激し、自ら『ニューロティカを紅白に出そう』運動を発起。私設応援団として他の人にも呼びかけ、NHKに出演嘆願のハガキを送る活動などをしているという。
その服装や雰囲気からすぐにファンとわかる、30〜40代の男女も来店した。話を聞くと、関東近県でキッチンカーを営むご夫婦で、年上の奥さんが昔から大のロティカファン。それに付き合って若い旦那さんもCDを聴き、ライブへ行くうちに奥さんに輪をかけた熱心なファンになってしまったのだとか。
お店にいるときのあっちゃんはもちろんいつも素顔だが、この日は撮影のため特別にピエロメイクをしてくれていた。ファンの二人にとっては珍しい、藤屋前でのピエロのあっちゃんとの記念撮影を喜んでいたようだ。

千葉から来たニューロティカファンの男性。キャップにあっちゃんのサインを入れてもらい、4人のメンバーすべてがそろった。(撮影/木村琢也)

藤屋前でのピエロのあっちゃん。(撮影/木村琢也)
最初は乗り気になれなかった武道館のワンマン公演
そんな“街の素敵なお菓子屋さん”のあっちゃん率いるニューロティカが、4000人を超える観客で埋め尽くされた日本武道館で初ワンマンライブをおこなったのは、2022年1月3日のことだった。
自虐的に“史上最遅”を謳っていたとおり、結成38年目のバンドが日本武道館で初ライブを行うのは、それまでの記録を大幅に塗り替える記録だった。
「武道館の話が持ち上がったとき、僕は『無理だろう』と思ったんです。もしチケットが売れなかったら、経済的に大きな負担をかぶるわけですし。でも、ちょうどコロナで士気が下がっていた時期だったこともあって、僕以外のメンバーは目標が見つかったことに喜び、『やろうやろう!』と盛り上がったんです。
だったらもう、やるしかないなと。
借金を背負ったとしても、僕は独りもんだし、まあいいやと思って。
でも、武道館のチケットがまだ1000枚くらいしか売れていない時点で、武道館の次は何をやるかという話が持ち上がり、イベンターは『じゃあ、野音(日比谷野外音楽堂)をやりましょうよ』と言うんです。僕は『まだ武道館のチケットも売れてないのに、バカじゃないの!?』と思ったんですが、メンバーは『よっしゃー!』って(笑)」
しかし結果的に、1月の初の武道館、そしてニューロティカとしては31年ぶりとなる7月の日比谷野外音楽堂ともに、チケットはソールドアウトの大盛況。ここに来て、あのインディーズブーム〜バンドブームの頃に匹敵するか、もしくはそれ以上の盛り上がりが、ニューロティカのまわりで起きているようにも見える。
「結果的に武道館が大成功だったことは、むしろこちらがびっくりです(笑)。そして、これが武道館効果というのか、取材も増えたし、その後のライブの動員も増えました」

2022年1月。ニューロティカ、30数年ぶりのホールワンマンはなんと武道館! 史上“最遅”の武道館初公演は大きな話題になった。(撮影/TATAMI)
現在のニューロティカは、1990年代末から交流のあったPOTSHOTらメロコア・スカコア系バンドから学んだ、限られたメンバーで組織を作り、流通以外のバンド運営にまつわるすべてのことをほぼ自分たちのみでおこなう“純・インディーズ体制”で活動をしている。
藤屋を会社として登記し、当初はメンバー4人が社員となった。その後も流動的だったギター以外の3人はずっと社員で、給料制でやってきたという。
しかしコロナ禍がはじまってからはバンド活動の自粛を余儀なくされ、ドラムのNABOはタクシー会社の正社員となるため退社という形を取り、現在はあっちゃんとベースのKATARU二人だけの会社になっているという。
形式上は社員ではなくなったNABOもバンドメンバーであることは変わりないので、バンドにまつわる仕事は担当し続けている。
KATARUはバンドTシャツのデザインなどアパレル系全般、NABOは映像編集が得意なので、ミュージックビデオの編集やDVDジャケットのデザイン、それにホームページ制作などを担当している。そして社長のあっちゃんは、バンドにまつわる営業を一手に引き受けるという役割分担になっている。
「NABOちゃんは、タクシーの中で武道館のドラム練習してたって言いますし、もうメンバーに対しては尊敬しかないですね。みんな、すごいんですよ。
KATARUもNABOも絶対にずっと音楽で食っていこう思っている人たちで、楽器もろくに弾けない僕とは覚悟が違います。2020年から正式メンバーになったギターのRYOも、ギターの学校の先生ですから、僕以外の3人は音楽に対する気合いが違うんですよ。だから彼らのためにも、武道館は本当にやって良かったと思います」

怒髪天、フラワーカンパニーズ、ザ・コレクターズ、Theピーズ……長いキャリアを経て武道館初ライブを果たしたバンドに引き継がれて来た、貴重すぎる「武道館バトン」(カレンダー下)や仲間たちからの寄せ書き国旗、年代物のペコちゃん人形も!(撮影/木村琢也)
いくつになってもはっちゃけて、バカをやり続けたい
ライブといえば、ニューロティカはもう一つ大きな記録を更新中である。
それは、彼らがデビュー当初から一貫してホームグラウンドとしているライブハウス、新宿ロフトでの公演回数記録だ。
2023年7月末の時点で、通算320回。もちろん、新宿ロフトではダントツの記録であり、現在も月イチで恒例ライブを行なって、その回数を順調に上乗せしている。
他に類例がなく比較のしようがないが、1976年創業の新宿ロフトは国内屈指の老舗ライブハウスである。同一バンドの同一ライブハウスでの公演回数としては、もしかしたらギネス級の記録なのかもしれない。
――武道館のステージも、ロフトみたいな感じにしたんですよね?
「そうです。『どうせお前は(緊張して)上がったちゃうだろう』ということで、武道館のステージ上にロフトの時計を持ってきて、床もロフトと同じ市松模様にしてもらいました。スタッフも全部ロフトの方を連れてきて、武道館を徹底的に“新宿ロフト風”に仕立てたんです。
僕が新宿ロフトでライブするときは、いつも用意されているウーロン茶を1杯飲んでからステージに出て行くという儀式があるんですけど、武道館でもロフトのスタッフが『あっちゃん持ってきましたよ! ほら、ロフトのウーロン茶』って(笑)。いや、それはどこのウーロン茶でもいいんじゃないかとは思いましたけど(笑)」
――武道館公演の翌日も、ロフトでライブをやったんですよね?
「そうです。大好きなARBがかつてそうしたのを真似したんです。前から僕がそうするんだと言っていたみたいなんですけど、実は自分では忘れていて(笑)。でもスタッフが覚えていて、『あっちゃん! ARBと同じく武道館翌日のロフト、入れといたから』って。僕としては正直、『いや、翌日くらい休ませてよ』と思いましたけど(笑)、おかげさまですごく盛り上がりましたね」

武道館ライブのステージを、まさに新宿ロフトの市松模様に。(撮影/TATAMI)

大好きなARBと同じく、武道館翌日は新宿ロフトでライブ!(撮影/TATAMI)
――回数はロフト側で記録しているんですか?
「いや。自分で書き続けているバンドノートがあるんです。バンドを始めた頃から今までずっと、ノートにその日のライブの衣装や曲順をつけ続けているんです。それで、新宿ロフトでの通算公演回数がわかったので、自己申告して(笑)。
ロフトには『そろそろ俺の銅像を建てろ』って言ってるんですけどね(笑)。バンドブームの頃は打ち上げで、毎回40万くらい使っていたわけだし。事務所払いですけど(笑)」
――それにしてもあっちゃんは、58歳で糖尿病も患っているというのに、ライブでの動きは20代の頃と変わらないように見えます。すごくないですか?
「いや、そうでもないですけどね、実際は(笑)。でも、お客さんが興奮してると、こっちも興奮しちゃうタイプなんで。動かなければ自分じゃないしニューロティカじゃないので、動けるうちは動こうとは思ってます。
いつまでもはっちゃけて、バカをやり続けたいんですよ」
ロックバカ・あっちゃんの話はどこまでも楽しく、また“インディーズ博物館”のような藤屋の店内は見飽きることがなく、許される限りいつまでもここにい続けたいと思わされるような取材だった。
昨年に引き続き、今年も10月29日(日)に日比谷野外音楽堂でのライブが決まっていて、あっちゃん率いるニューロティカメンバーの士気は、ますます上がっているようだ。
合言葉は「野音で会おうぜ!」。
愛すべき男あっちゃんの、パンク街道疾走はまだまだ続く。
でも糖尿病が心配だ。くれぐれも健康には気をつけてほしいと願うばかりである。

バンド結成時からつけている貴重すぎるバンドノート。(撮影/木村琢也)

手書きの曲順はまさにニューロティカの歴史書だ。(撮影/木村琢也)
文/佐藤誠二朗
ドキュメンタリー映画「あっちゃん」
2015年に劇場公開された、ニューロティカ結成30周年記念ドキュメンタリー映画『あっちゃん』(監督:ナリオ)の英語字幕バージョン!
どこにでもあるお菓子屋さんに生まれた男の、どこにもない生き方。イノウエアツシの50年、ニューロティカの30年。すべての答えはこの映画で明かされる。
蒼井そら、綾小路翔(氣志團)、宮藤官九郎、HIKAGE(THE STAR CLUB)、PON(LAUGHIN’NOSE)ら多くの出演陣の証言にも注目!
【プロフィール】
アツシ/1964年10月20日生まれ、東京都八王子市出身。
1984年1月に結成したパンクロックバンド「ニューロティカ」のヴォーカル。
85年、仲間とともに「ネオファミリーレコード」を設立。1stソノシート「Go or Stop!」をリリースし1000枚を完売。89年5月、「キャプテンレコード」より初のフルアルバム「ハーレム野郎」をリリース。インディーズながら渋谷公会堂ライブなどを成功させる。
1990年6月シングル「ア・イ・キ・タ」でメジャーデビュー。以後、何度かのメンバーチェンジをしながらバンド活動を続け、2022年1月にバンド初の日本武道館ライブを成功させる。2023年10月29日(日)には日比谷野外音楽堂でのライブも決定!
その他最新情報は下記でチェックを!
公式ツイッター:@NEW_ROTEKA
公式HP:ニューロティカ公式HP
【撮影協力】
藤屋菓子店(東京都八王子市本町3-9)
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