(前編)

ひきこもりから脱するきっかけ

リストラされた当時、高梨さんは30歳。家にひきこもったまま、数か月、1年と、あっという間に時間だけが流れる。

だが、前回ひきこもった時とは大きな違いがあった。時間が経つにつれ、「このままではいけない」という気持ちが湧いてきたのだという。

「ひきこもるのは3回目ですからね。さすがに、ここで何かしないとダメになるなと思ったのが、自分で動くきっかけだった気がしますね。不登校のときは何だかんだ言って学生という身分があるから、まだ少しは気持ちが楽でしたが、何にもなくなるとね……」

インターネットでひきこもりの記事を探して読んでいると、東京で開催されているひきこもり向けのイベント「庵-IORIー」(現在は終了)が紹介されていた。行ってみたいと思ったが、そのときは家を出ることもできなかった。次に開催されるのは2カ月後だ。

イベント当日。記事を読んでからすでに4カ月が経っている。さすがにあと2カ月は待てないと自分を奮い立たせて、どうにか家を出た。

「駅に入れなかったら、帰ろう」
「改札を通れなかったら、帰ろう」
「電車に乗れなかったら、帰ろう」

小さなハードルをクリアして、一歩ずつ進んだ。最後のハードルは会場に入ることだ。

「ひきこもりが社会に出てくる時は大抵、もめます」不登校、就活の失敗、リストラ、母親の介護疲れで4度ひきこもりを繰り返した男性が、それでも「最終的にものを言うのは“人とのつながり”」といえるワケ_1
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「どこから来られたのですか?」

会場の入り口で見知らぬ人が話しかけてくれ、おかげで「とても入りやすかった」と高梨さんは振り返る。

「ひきこもりの人は入りづらいという事情を知っていて、支援者が入り口で待っていてくれるんです。僕の地元には当事者向けのイベントや居場所がないので、東京から帰った後、ひきこもりの子を持つ親の会に行ってみたんですが、入りづらくてマゴマゴしていたら、70代くらいの女性が僕の手をつかんで、『あんた、何やってるの? こんなところにいないで来なさいよ』と引っ張ってくれて、何とか入れました。でも、その時は行くのが精いっぱいで、何を話したか、あんまり覚えていませんが」

「庵―IORI―」は、ひきこもり当事者、経験者、支援者など毎回100人前後が集まる大規模なイベントで、多い時は160人もの参加者がいた。「仕事」「家族」などテーブルごとに話すテーマが決められており、好きなテーブルを選んで参加する。

高梨さんは何回か通ううちに、議論を仕切るファシリテーターとして、テーブルの1つを任されるようになった。

「100人もいると、1人ぐらいは話せる人がいるんですね。僕は支援者の1人と仲よくなって、何とかそっち側に行きたくて、テーブルを盛り上げようと努力したり、調べ物をしたり。そこから、自分も変わってきたと思います。大抵の当事者はお客さんとして来るだけなので、なかなか続かないんですよ」