「きちんと教育を受けたかった」10年以上ひきこもりだった発達障害の女性のホンネ。「無理して社会にしがみついて自死する子も多い」という生きづらさの正体
小学5年から10年以上、ひきこもった経験のある川原愛美さん(40)。20代半ばで家を出て事務職のアルバイトを始めると、「伝言を忘れてしまう」「商品のカウントを間違える」などミスが相次いだ。職を転々とした後に、発達障害との診断を受けて障害者手帳を取得したのだが……。(前後編の後編)
ルポ〈ひきこもりからの脱出〉#2-2
職業訓練校に入るが、席にずっと座っていられない
川原愛美さん(仮名=40)は30歳を過ぎて、保育士の資格を取るため職業訓練校に入った。幼いころ長く入院した経験があり、「いつか小児科で病棟保育をやりたい」という夢が、心の中にはずっとあったのだという。
「病院育ちだからでしょうね。その世界しか知らないから、そういう夢を持つ子は多いんですよ。病棟保育の求人はほとんどないのは知ってたけど、保育士の資格を取っておけば、いつかチャンスはあるかもと。医師にあこがれる子も多いけど、大体、途中で無理だとあきらめて、看護師になりがちなんです」
職を転々としてギリギリの生活を続けてきた川原さんにとって、職業訓練校は2年間の学費が無料なのも魅力的だった。

だが、入学してみると、すぐに壁にぶつかる。
「とにかくダメダメだったんですよ。保育って、結構詰め込みなんです。朝9時から夕方5時まで席にずっと座っていられないことに、その時、初めて気が付きました。ほぼほぼ初めての学校ですしね。
授業中、もぞもぞしたし、課題をこなせないし、メモもうまく取れない。だから実習記録を書いても、全然足りない。子どもたちの様子をもっと細かく書けと言われるんです。私はリズムにも障害があるらしくて、音楽の授業でリズムだけ外れるんです。でも、音程は正常だから、先生も“?”になっちゃって」
もし、子どものときに発達障害だとわかって早い時期から療育などを受けていれば、もう少しうまく対処できたかもしれない。だが、川原さんは小中高校とひきこもっていたため、自分が発達障害だとは思いもしなかったそうだ。大人になって障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳2級)を取ったが、職業訓練校では一切配慮されなかったという。
最後の実習で不合格になり、川原さんは結局、そのまま学校をやめた。
「まあ、1年半も無駄にしたけど、お金は無駄にならなかっただけマシだから、しょうがないよね。うん。あきらめるしか」
職を転々として自死する人も
そこで、何かが吹っ切れたのだろうか。障害者手帳を取った後も、ずっと一般雇用にこだわっていたのだが、職業訓練校をやめた後は障害者雇用の仕事を探した。
時給はほぼ最低賃金で、週40時間働いても社会保険や税金を引かれると手取りは月12万円ほど。川原さんは3か所で働いたが、精神的にキツかったそうだ。
「ホント、一日中、同じことをやっているんですよ。和風小物の簪に一つ一つ値段のシールを張るとか、コーヒーの袋に産地のスタンプをひたすら押すとか。違うこともやりたいと言ったら、3時間、書類をシュレッダーにかけてねと(笑)。いやあ、『何しているんだろう、私』みたいな気持ちになってしまって……。
普通に事務職の補助とかしたいのに、任せてはくれない。一度、人事の人が『他の仕事もやってみますか』と言ってくれたけど、本社の方は『それは求めていない』って試用期間で切られたんですよ。経営者からしたら、文句を言わずに黙々と同じ作業をする障害者が欲しいんですよね」

それにしても、これで何か所目の職場だろうか。最初に勤めた会社から数えると、軽く10か所は超えている。それでも、川原さんは「発達界隈からしたら、私は少ないほうですよ」と、こともなげに言う。
「みんなすぐ仕事を辞めるし、続かないから。無理して社会にしがみついている子、いっぱいいるもの。居場所で知り合った人で、先に旅立った子も多いですよ」
「え、自殺しちゃったってこと?」
びっくりして聞き返すと、あっさり肯定する。
「ほとんどそう。別にその子たちを否定するつもりもないし、私も、子どものころの病気がなければ、その子たちみたいに自死とか気軽に考えられたんだろうけど。なんか、生きたくても生きられない子がいたとか、命は一番大事にしなきゃいけないとか、いろいろ聞かされてきたからね。そういう状態になる前に自分で手は打ったんだと思います」
だからこそ、川原さんは自分を障害者だと認めて、障害者手帳も取ったのだろう。
少しでもやりがいのある仕事を探したいと、就労移行支援事業所にも通った。就労移行支援とは、働く意欲のある障害者に対して、企業への就職活動をサポートする福祉サービスで2年間利用できる。事業所は全国に3000か所以上あるが、残念ながら玉石混交だ。川原さんが通った事業所は、いいこと尽くしのパンフレットの記載とは違い、実際は自習ばかりで就職先もなかなか紹介してもらえず、半年ほどで辞めたという。
2022年の文科省の調査では、小中学生の8.8%が発達障害の疑いがあり支援が必要とされている。川原さんのように生きづらさを抱え、大人になってから発達障害だと診断される人も増えている。障害の特性上、苦手なことはあるが、得意なこともたくさんあるのに、能力を活かせる仕事にはなかなか巡り合えない。
それは、川原さんだけではないだろう。本人も辛いが、社会にとっても大きな損失だ。
きちんと教育を受けたかった
後悔していることはないかと聞くと、川原さんはしばらく考えて、こう答えた。
「強いて理想を言うなら、遅れることなく勉強して、中学は私立に行って、きちんと教育を受けたかった。もちろん、うちにはそんなお金もなかったし、今さらどうにもならないけど。でも、やっぱり、そこが後悔というか、挑戦はしたかったなって思います。居場所に行っても、いくつになっても、学校の話をする人は多いですよ。恨み、つらみを含めてね」
現在、川原さんは就労継続支援A型事業所で働いている。障害者が雇用契約を結んだ上で働くことが可能な福祉サービスで、勤務時間が比較的短い。川原さんは食品の倉庫で週4日、3、4時間、在庫管理や清掃を担当し、月収は5、6万円だ。

あえて短時間勤務にしているのは、福祉の勉強をしているので時間が必要だからだ。
実は、職業訓練校に入る前、川原さんは29歳で大学に入学。奨学金と貯金でやりくりして通っていたのだが、学費が足りなくなり2年で中退した。10年の時を経て、昨年4月に通信制大学に編入したのだという。
「一応、今でも、微妙にもがいていて。大卒の資格が欲しいんです。まあ、通信大学じゃ、出たところで選択肢がそんなに広がるとは思えないけど。本人のこだわり、自己満足ですよ」
無事に大学を卒業したら、やりたいことはあるのだろうか。
「今の仕事はいくらやったところでキャリアにならないし、そもそも長期的に勤める場所じゃないので。できれば、福祉関係か心理か、何か(資格を)取ろうかなーって。どうなるかわかないけど、まあ、何とかなる。何とかなるでしょう(笑)」
笑顔で「何とかなる」と繰り返す川原さん。これまでもその言葉とともに、数々の苦難を乗り越えてきたのだろうか。
取材・文/萩原絹代 写真/shutterstock
ルポ〈ひきこもりからの脱出〉1はこちら
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#1-2『4度ひきこもりを繰り返した男性のホンネ』
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