埋葬されているのは“Bクラス”の人物!?

撮影/小峯隆生
撮影/小峯隆生
すべての画像を見る

――今年5月に吉野ヶ里遺跡(佐賀県吉野ヶ里町・神埼市)で出土した石棺墓ですが、邪馬台国時代と重なる弥生時代後期(2世紀後半~3世紀半ば)のものと見られ、内面は真っ赤に塗られて幅は細く、卑弥呼の墓ではないかという声もあがっています。

松木(以下、同)
 卑弥呼ではないでしょうね。邪馬台国時代の高位の人物は普通、木の棺に葬られ、例外なく副葬品として数多くの銅鏡があり、赤色顔料は30キロほどになりますから。

石棺というと聞こえはいいですが、実際は底もなく、自然の石を組み合わせてつくるので、“Bクラス”の人物が葬られるものです。石棺を赤色顔料で赤く塗るのは、吉野ヶ里遺跡では珍しいですが、全国的にはごく普通に見られます。

ただ、この石蓋には、×印の刻み目がたくさん入っているんです……。これはもしかしたら特殊なキャラクターか、特殊な能力を持っていた人物かもしれません。

――悪魔を封じ込めたのじゃないですか?

本当にそういう悪魔なのかもしれません。ただ者ではない。×印というのは、「もう出てくるな」と甦りを恐れたということですからね……。相当にヤバい人物かもしれませんよ。

――すでに石蓋を開けてしまっていますけど……。ちなみに、現在の学説では、邪馬台国はどこにあるとされているのですか?

考古学者の間では、奈良県桜井市付近の纏向(まきむく)遺跡がいちばん有力とされています。

それから九州という説もあります。九州エリア最大の遺跡は博多湾沿岸にあるのですが、鉄器もたくさん出るし、経済的に非常に栄えていた場所。「魏志倭人伝」の記述だと、そこは、奴国に当たる。邪馬台国は奴国より南にあるとされているので、「邪馬台国=吉野ヶ里遺跡」と考える人がいたりするんです。

――奴国といえば漢委奴国王印、いわゆる金印ですよね。

とはいえ、あの金印は農民が開墾中にたまたま見つけて福岡藩に届け出たもの。そのような形で、中国の歴史書に書かれた金印が見つかるのはまさに天文学的な確率です。

金印の書体や材質を分析した結果、やはり古代の漢時代のものという結論が出されています。本物だと見れば、それを疑う余地はない。だけど、出土状況が限りなく怪しいため、今は評価がわかれています。私なんかは、あの金印は何十個もあったんじゃないかと思い始めています(笑)。まがい物であり、なおかつ本物であるみたいな。