大和政権が覇権を握ったのは、鉄の交易ルートをおさえたから!?

“古墳の大家”が語る、「邪馬台国」最新学説。「吉野ヶ里遺跡の石棺墓は卑弥呼のものではない」「漢委奴国王の金印は何十個もあったんじゃないか」_3

――日本人のルーツに関してもお聞きしたいです。もともと縄文人と渡来系弥生人が日本人の祖先とされてきましたよね。

そうですね。縄文時代からいた人たちは、その後も北海道や沖縄に残っていたとこれまで言われてきましたが、最近では、本州の海岸沿いにも残っていたんじゃないかという説があります。最近、古墳時代の海洋民がすごく注目されています。彼らは前方後円墳をつくらず、洞窟のなかに埋葬したりするんです。

つまり、いろんな遺伝的特性を持った人たちが多様に存在するのが日本なんです。海外の人類学者が「日本人はいろんな顔をしているな」とよく言います。

――古代の海辺は賑やかでありますね。日本海沿いには北に流れる安定した海流があり、北回り航路もあります。

弥生時代は日本海側が表でしたからね。ちなみに、倭国大乱が起きたとされる時代に、もっとも武装を固めていたのは北陸地方だったいうことが最近わかってきました。石川や新潟あたりですね。日本海交易ルートをめぐって、対立の目があったのかもしれません。彼らだけが山の上に砦をつくって、やたらと守りを固めていました。

当時の目玉は鉄なんです。日本列島で鉄は採れなかったので、朝鮮半島の百済や伽耶から取り寄せていました。とても貴重で、みんな喉から手が出るほど欲しかったんです。大和政権が覇権を握ったのは、鉄の交易ルートをおさえるのに成功したからじゃないか、という説もあるくらい。

――鉄の交易ルートを支配する利権争いから倭国大乱が発生した、という可能性もあるのでしょうか?

群雄割拠はあったと思います。ただ、最終決戦は避け、結局、卑弥呼を立てて妥協しました。

――中国史書には、鬼道を用いて卑弥呼が乱をおさめたとあります。実態は談合ですか?

そうかもしれませんね(笑)。


取材・文/小峯隆生