ミスコンへの挑戦と、就職案内を投げ捨てた日。紛争地域の問題解決を志して中央大学へ入るも、人生終了!?_2
大学の学祭で、ミュージカル「ミス・サイゴン」より「世界が終わる夜のように」をパフォーマンスしている場面

夢が砕け散った瞬間、人間はどんな顔になるか

目加田教授のゼミは2年生から参加出来たのですが、ちょうど私が2年生になる年度から教授が海外に行くという話でした。

絶望です。お先真っ暗です。目加田ゼミに入りたくて中央大学に入学したのに、お目当てのゼミがない!? そんなことある!? と思うかもしれませんが、実話です。大学は真面目に勉強して卒業したらすぐに海外で職業訓練の活動に貢献できるように頑張るぞ!と意気込んでいたのですが、入学早々、私の夢は打ち砕かれました。

さぁ、どうする。

確かかわからないけど、休講するのは1年だけという話も聞きました。もし1年で教授が海外から帰ってくるならば、1年休学してでも目加田ゼミにはいりたいと言っている同期生もいる中で、私はどうしよう……。休学……ありだな? でも親は困るかな。とりあえず、ゼミについて考えることを放棄しました。夢がパッとなくなった瞬間は、悲しいとか悔しいという感情はなく、ただただ目がすわっていました。

この出来事がきっかけで、私の人生の方向は一気に変わっていくことになります。大学で何か夢中になれることを見つけたいと思い、軽い気持ちでミュージカルサークルとアカペラサークルに所属しました。ミュージカルに目覚めたきっかけは、高校3年生の文化祭で『サウンド・オブ・ミュージック』を披露したことです。そこからどっぷりとミュージカルの魅力にハマり、大学時代は週1で舞台観劇をしている時期もありました。

また、高校生の頃から屋上で友達とギターの弾き語りをしたり、放課後にハモりながら熱唱したりすることが楽しみだったので、アカペラサークルは私には合ってるかもと思って入ってみました。

ミュージカルもアカペラも完成度が高ければ高いほど楽しくて達成感があり、毎日のように練習をしました。次第にその環境にも慣れてきて、もっと上に行きたいという気持ちが芽生えたのですが、サークル内では真剣にやりたい派と楽しくやりたい派で分かれることが多く、私は前者でした。

仕事ではないので強要することはできないというのも分かっていたため、自分の求める環境にいきたいなら自分のレベルをもっともっと上げて、プロの世界を目指そうと決めました。