くらもち先生と名久井さんの大学生活
――くらもち先生と名久井さんは、ともに武蔵野美術大学出身ですよね。
くらもち&名久井 そうなんですよ!
くらもち 実はその話は今までしたことなかったですよね。年齢も離れているし、デザイン科と日本画だから、両極端です。私が学生の頃は、デザイン科は憧れの的でした。颯爽とした感じで。
名久井 いやいや…こちら側からファインアートはすごいなって。ただ、授業も校舎も別棟が多いので、交流は少ないですよね。
くらもち 今もまだ食堂とかありますかね?
名久井 ありますよ。くらもち先生が卒業されたあとに大きな校舎ができて、その地下にも食堂ができました。
くらもち そうなの?
名久井 私が卒業したあとにもまた新しく校舎ができて、結構変わりました。
くらもち そうなの!?
名久井 昔ほど牧歌的ではない感じがしますね。私がいた頃は校内のびわの木から実を採って食べたり、彫刻科から鉄板を借りてきて焼き肉をしたりしていたけど……(笑)。
くらもち そうそう、昔は何でもありだったよね(笑)。
地味な学生生活からも生まれる物語
――『学生会議の森』の並木道は、大学へ行く道をモデルにしているそうですね。
くらもち&名久井 玉川上水!
くらもち 今も昔も、私は自分の周りのものを漫画のネタにしたくなるんですね。場所も人の名前も(笑)。欲張りなんですかね。
名久井 そこがすごいんですよ。私は同じものを見ていたのに、玉川上水を何にも使えていないですから(笑)。いつもあの道を通りながら、太宰治のことを考えたりはしていましたが。
くらもち それは私も考えていました。やっぱり考えちゃいますよね。あの道は、いつも重いパネルを持って歩いていました。課題の荷物がずっしり重くて。
名久井 そうそう。それに、道もガタガタしていて、足場が悪いでんすよね(笑)。私は学生のころは勉強とバイトしかしていない地味な学生でした。運良く現役で入れたけど、当時は4浪、5浪の人もたくさんいて、みんなすごく上手なんですよ。私はずっと劣等生で、勉強するのに必死でした。漫画になりそうな華やかな出来事はなかったですね。
くらもち 私も地味な学生生活を送っていましたよ。華やかな思い出は、芸術祭くらいかな?
――『銀の糸 金の針』では芸術祭のことが描かれていますね。
くらもち そうです。芸術祭のときの雰囲気を描いてみようと思っていました。私は高校が女子校だったので、羽目を外すような学園祭の経験がなくて、大学の芸術祭で急に「いままでと違う世界」を見たんです。初めて知ったあの面白さを作品に入れたつもりでしたが、当時の担当編集さんには「何が言いたいのかわからない」と言われました(汗)。確かに、私もその面白さを言葉として表現できていたわけではなく、感覚でしか伝えることができなかったんです。それでも、その感覚をキャッチしてくれた読者の方もいて。私はそれだけで十分だし、成功だと思っています。