1st Season『おしゃべり階段』『いつもポケットにショパン……
“等身大”の物語が当時は新しかった!
1972年、高校2年生でデビューしたくらもちふさこ先生は、1978年に『おしゃべり階段』で初連載をはたし、1980年に発表した音楽ロマン『いつもポケットにショパン』が大ヒット。『ハリウッド・ゲーム』(1981)、『いろはにこんぺいと』(1982)などを次々発表し、「別冊マーガレット」看板作家の地位を確立する。
この頃のくらもち作品の特徴は“等身大”。それまでは、娯楽として華やかでドラマチックなキャラクターや物語を創造して提供するのが当たり前とされていた少女まんがの世界で、くらもちふさこは自らのコンプレックスをさらけだしながら、現実と地続きの物語を描いた。これらの作品は思春期の読者の心を強くつかみ、「集英社の少女まんがらしさ」の根っこのひとつとなった。
<この時代の代表作品>
※下記電子版のリンクからは、試し読みができます。予習したうえで、弥生美術館の展示や、集英社オンライン独占のバーチャルアーカイブ「Ⅱ期(リンク)」を観覧すると、新しい発見があるはず!
2nd season『東京のカサノバ』『アンコールが3回』『海の天辺』———
最先端の“オシャレ”は少女まんがの中にあった
1993年、フジテレビの“月9”枠で放映された「ひとつ屋根の下」で福山雅治が演じたのが「小さい方のお兄ちゃん」ことチイ兄ちゃん。この頃から、都会を舞台にしたトレンディドラマが大ブームとなるが、「別マ」ではその10年前、少女の胸を焦がすもうひとりの「ちいちゃん」がすでに登場していた。業界人で、イケメンカメラマンで、とてつもなくモテるのに、妹の多美子=主人公を気にかけている暁(あきら)。『東京のカサノバ』に登場した大人気キャラクターもまた、「小さい方のお兄ちゃん」=「ちいちゃん」と呼ばれていたのだ。
高度成長期の代官山で生まれ、バブルまっさかりの東京を満喫したくらもち先生。大ヒット漫画家として交流範囲も広がり、間違いなくエンターテイメントの最先端にいた彼女の作品は、最上級にオシャレだった。インターネットがまだなかったこの時代、くらもち作品が、東京の教科書だった。
<この時代の代表作品>
※下記電子版のリンクからは、試し読みができます。
3rd season 『天然コケッコー』が癒した、バブル崩壊後のおとなのココロ
三連立方程式ラブ・ストーリー『チープスリル』(1990)でスタイリッシュを極めた一方で、作品にのめりこむ制作スタイルによる精神疲労が蓄積し、くらもち先生はギリギリの状態に…。そんな窮地を救ったのが、1994年から7年間の長期連載となった『天然コケッコー』だ。暮らす人全員の顔が見える片田舎を舞台に、小さいけれど確かにある幸せを丁寧に描くうちに、先生自身の心も満たされ、癒されたという。当時の日本は、バブル崩壊とともに成長神話の魔法がとけ、自信を失い、行き先に迷っていた時代の真っただ中。くらもち先生はいち早く「地に足を付けて歩く人たちが持つ豊かさ」にスポットライトを当てたのだ。
<この時代の代表作品>
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