「軍艦」「ハワイ」「沈没」…時代によっては物騒な呼び方も
「小さいころによく遊びましたよ。遊び方はたしか近所のコに教わった気がします。昔は階段も今ほどないから普通に地面で遊んでました。男のコはヤンチャで、同じ一歩が大きいものだから、よくもめてましたね。それで地面に線を引いてマスを作って階段がわりにしてました」(東京都・81歳女性)
「懐かしいですね。私の家は川が近かったから土手の階段や、神社の階段なんかを使って遊んでました。昔はグリコキャラメルがひとつ10円くらい。頻繁には買えないけど、たまに食べるとすごくおいしかった記憶があります」(神奈川・72歳女性)
「同級生と帰り道によく遊んでました。私が子供のころにちょうどグリコの値段が上がって、たぶん20円になったと思います。私のところではパーは『パイン』でした。そのころはあまり意識していませんでしたが、たぶん『パインアメ』からきていたのでは」(千葉県・62歳女性)
そう、「じゃけんグリコ」における“パイナップル”は実は果物のことではないとの説がある。
1969年12月発行の『技術と経済』(科学技術と経済の会)の中で、児童文化研究家のかこさとし氏の発言によると、当時統治下だった台湾に本社を置く製菓会社、新高製菓(森永製菓、明治製菓、江崎グリコとともに四代菓子メーカーと呼ばれたが1971年廃業)の「新高ドロップ」で一番人気だったパイナップル味のことを指していたと説明している。
街頭アンケートで挙がった「パインアメ」とはまた種類が違うが、いずれにしても、本来は果物そのものを指していなかった可能性が高そうだ。
チョコレートについても、かこ氏によると「1年に2~3回食べられるかどうかの貴重品」だったそうで、「グリコ」「チョコレート」「パイナップル」は子どもにとって“お菓子の三種の神器”だったとしている。
ちなみに、この三種の神器が「黒兵衛」「ベティ」「ちょび助」となった時期があったそうだ(黒兵衛は『凸凹黒兵衛』という作品に登場する黒ウサギ、ベティはアメリカアニメ映画に登場する女性キャラ『ベティ・ブープ』、ちょび助は『チョビ助漫遊記』という作品のキャラクター)。
お菓子の三種の神器のように、子どもから圧倒的支持を得ることでノミネートされるのかといえばそうでもなく、太平洋戦争の戦況が激しくなると「軍艦」「ハワイ」「沈没」に、戦後は「ハロー」「ジープ」「グッドバイ」へと変化したことがあったそうだ。時代を映す鏡のような役割もあったのかもしれない。
と、じゃんけん関連でいろいろ調べると、もうひとつ疑問が浮かんできた。じゃんけん前に腕をクロスさせて指を組み、顔の前に持ってきて手の中を覗くあれ。どうやら「じゃんけん覗き」と呼ぶ地域もあるらしいが、こちらもルーツなど確かなことは不明。
じゃんけんは誰でもできる単純な遊びだが、その裏には様々な謎が隠されていた。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班