日本は「ウケるか」ではなく「売れるか」

「一番素直なコメディアンでありたい」村本大輔はなぜ人の傷に触れ、それをコメディに昇華させようとするのか?_3

――海外の芸術作品には、『人種差別』『LGBTQ』『ナチス』などの社会問題、歴史的事件をテーマにした作品が多々存在する一方、日本には日本の問題について描いた作品が圧倒的に少ないのは何故だと思いますか?

それはやっぱり教育にも問題があると思う。歴史を教科書から徐々に消したりしているわけだから。社会で起こっていることの問題について議論したくても、論点を逸らされることもあるよね。

例えば、アメリカで『Black lives matter』があったときに、「白人の命だって大事だ!」って言った人がいるけれど、それは黒人差別があるという問題から逸らしてるやんか。

マジョリティーは、マジョリティーであるという自覚がありながら、自分がマイノリティーなるのが怖いんだろうね。だから移民を認めたくない。

自分たちが優位な立場にいながら、そのことに気付かないふりをする。そこに問題があることを認めて、今の立場が崩れるのをものすごく怖がっている。だから話を逸らして、在るものを見ようとしないんだと俺は思う。

自分の立場も含めたすべての物事が何かの犠牲の上に成り立っているということを自覚しながら、そのことを感じたくはないんだと思う。

――村本さんの著書の中に『無知であることを恥ずかしがらなくていい』とありますが、社会情勢に特に関心もない人についてはどう思いますか?

まず、コメディーがやりにくいよね。ネタの前提だったり、面白いポイントが伝わらなかったりするから、芸人としてはやりにくい。

たまに、「そういうのネタに持ち込まないで下さい」って言う人がいるけど、それは「自分をザワザワさせないで下さい」って言っているのと同じ。

例えば、俺の原発のネタは圧倒的に笑いを取れるのに、テレビのマーケットのお客様には一切需要がないわけ。関心がないから持ち込まないで下さいってこと。

『ウケるか』ではなく、『売れるか』。それがまさに日本のメディア、エンターテインメントの答えだと俺は思う。