「俺、四十歳になって初めて英語勉強すんねん」
私の病気のことを、他のスタッフから聞いたのだろう。
“手術を受けるために、大阪に帰って来ました。ばたばたと急に帰阪することになり、ちゃんとご挨拶もできずにごめんなさい”
「明日大阪やから独演会おいでよ!」
“リハビリのため、しばらく退院できないんです”
「まじか! どこの病院? 会いに行ったら嫌かー?」
病院名を伝えるとその翌日、なんば花月公演の合間の短い時間を縫って、病室に来てくれることになった。
そのことを母に伝えると、とても驚いて喜んでいた。嬉しい反面、こんな姿を見られたくなかったと思う気持ちもあって複雑だった。
けれど、疲れや不安を一切見せずに毎日病室に通ってくれる母が、本物のコメディアンの話に爆笑している姿を見ると、涙が出そうな程に村本さんに感謝したくなった。
当時まだ闘病中だった、今は亡き村本さんのお父さんの闘病生活の面白エピソードに、母も私も笑った。
そして病室を出るとき、彼はこう言った。
「俺、四十歳になって初めて英語勉強すんねん。Be動詞が何かも分からん。おっさんがテキスト片手に……すごくない?(笑)。俺、勉強嫌いやし。気が遠くなるよね。しかも普通の英会話レベルじゃなくて、目指すはスタンダップコメディよ? どんだけ時間かかんねんって……。まなかちゃんも大丈夫や」
麻痺した自分の身体がわからなくてずっと怖かった。ちゃんと胴体と繋がっているはずなのに、左半身に所有感を持てずにいた。誰かに聞いて欲しくても、感覚が在る人に言っても仕方がないと思っていた。
そんな私に、「頑張れ」と言わない彼の優しさが嬉しかった。
「今日、村本さんがしてくれた話、めちゃくちゃ笑っちゃったけど、あれはぜーんぶあんたのためやで。ほんまに優しい人やな」
涙ぐんだ母の顔を見て、私は変わらなければならないと思った。