読者である私たちは忘れがちだけれど、著名人にとっての〝写真を撮られる〟という行為には、ふたつの側面がある。そのうち、プライベートの様子を写真に撮られてしまうのは、本人からすればネガティブな側面以外のなにものでもない。
それでも、広末さんは「写真が好き」だという。もちろん、週刊誌やパパラッチの撮る写真は別として。ならば、フォーカスすべきは被写体として能動的に撮られるポジティブな側面の写真表現について。
写真表現の〝ならでは〟とはなんなのか。役者の仕事ならば台本がある。共演者との呼吸もある。監督の演出意図もあるだろう。もちろん、写真表現にもカメラマンとの呼吸や演出意図も存在するだろうが、役者の仕事と写真表現の違いについて、問いを重ねてみる。
「写真の場合は、カメラの前にいる私なりのルールみたいなものがないんですよね。そこが役者としての表現とは違うところ。役者の仕事には台本があって、自分なりの答えのようなものを見つけて、そこに立つ。写真の場合は、その瞬間瞬間なんです。
たとえば雑誌の撮影だとして、あ、このページは洋服を見せたいんだなとか、メイクさんはこうしてほしいんだなとか、カメラマンさんはこういう表情が撮りたいのかもしれないとか、正解はわからないし感覚でしかないんだけど。でも、なんかわかる気がするんです。
もし、役者の仕事と写真表現に通じるものがあるとすれば、それは舞台かもしれない。舞台って引きの画ひとつですよね。テレビドラマや映画の現場のようには、カメラが寄ってくれたり引いてくれたりの演出がない。
だから、舞台で演じるのは空間の把握が大切だと教わった時に、演じるって感情だけじゃないと思ったんですね。それって写真に近いかもしれないって感じたんです。なんでなんですかね。不思議なんですけど。
でもやっぱり、舞台の話も感覚的なことだし、言葉ではうまく説明できないんですけどね。もうひとつ、カメラマンさんに『あの時、どうしてああいうことができたの?』と聞かれたことがあるんです。
その撮影の時も感覚で動いていたから自覚がなかったんですけど、聞かれて考えて思い浮かんだのが、サービス精神という言葉でした。〝ただ歩いているだけじゃつまらない。あ、海だから濡れたらおもしろいかな?〟とか自然と動いている自分に気づいて。
カメラマンさんの目線というか、被写体にはこうあってほしいだろうなぁという表情とか形を、ちょっと第三者的に見ている自分がいるのかもしれないですね」
<最新写真集発売・広末涼子独占>「いい笑顔をしてるってことと(笑)、印刷される写真の贅沢感を思い出させてもらいました」
12月15日、広末涼子の最新写真集『C'est la Vie』が発売になる。『R』『H』(1996年)、『NO MAKE』(1998年)『teens -1996-2000』(2000年)というヒット写真集を刊行してきた集英社からは実に22年ぶりとなる写真集に関してのロングインタビュー。後編では写真集という媒体についての熱い思いについて語ってくれた
広末涼子インタビュー♯2
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笑顔と紙に印刷される写真という贅沢感が印象的