1987年、ブルーハーツがメジャーデビューシングル
『リンダ リンダ』を発表した
ザ・ブルーハーツの『リンダ リンダ』は、時も海も世代も性別も超え、ある年代の若者の心にブッ刺さっていく。
歌詞に出てくる最大のパワーワードは、言うまでもなく“ドブネズミ”。
そして少しでもブルーハーツを意識したことがある人は、ドブネズミとはこの曲を作った甲本ヒロト自身の投影像に違いないと思うものだろう。
1980年代の中頃のこと。僕を含む当時のロック少年少女たちの間を、「ブルーハーツというすごいバンドがいるらしい」という噂が駆けめぐっていた。
ほぼ唯一の情報源であった雑誌でも、レコードの一枚も出していないデビュー前のバンドの扱いは軽く、わかりにくい小さなライブレポ写真くらいでしかブルーハーツの姿は確認できなかった。
直接ライブで観た人以外にとって、ブルーハーツはベールに包まれた存在だったのである。
1984年、ザ・ブレイカーズというモッズバンドのギタリスト真島昌利(マーシー)が、同じ東京モッズシーンにいたザ・コーツのボーカリスト甲本ヒロトに話を持ちかけ、両バンド解散後に結成されたブルーハーツ。
東京のライブハウスを中心に精力的なライブ活動を繰り広げ、口コミでファン層は拡大していった。
そして1987年2月。
初シングルとなる『人にやさしく』を駆け込みで自主制作リリースし、同年5月にはシングル『リンダ リンダ』でメジャーデビューを果たす。
噂のブルーハーツが、ようやくその全貌を我々の前に現した瞬間だ。
モッズバンド出身という経歴から、洗練されたオシャレな人たちかと思っていた多くのファンは、逆の意味で度肝を抜かれた。
坊主頭のヒロトは、ボロボロのジーンズとTシャツに、ヨレヨレのレザーコートやハリントンジャケットを羽織り、足元は安全靴。
雪駄を履いていることも多かった。
マーシーはエスニックなバンダナを鉢巻状にしめ、中原中也やボブ・マーリーのTシャツ。
ベースの河ちゃん(河口純之助)はよくわからない星柄のTシャツ、ドラムの梶くん(梶原徹也)は野暮ったい軍パンにモヒカン頭だ。
それぞれのファッションにパンクやモッズのエッセンスは確かにあるものの、どう贔屓目に見ても垢抜けない田舎のニイちゃんといった風貌である。
インディーズブームからバンドブームへと発展中の当時、ルックス的に彼らよりかっこいいバンドは山ほどいたし、特に人気絶大だったBOØWYは、ヴィジュアル系の元祖とされるほど洗練された雰囲気で、ブルーハーツとは対照的だった。
それにもかかわらず、ブルーハーツはあっという間に多くの若者の心をとらえ、“現象”と呼べるほどのメジャーな存在になっていく。
日本のロック史、いやサブカルチャーの歴史は“ブルーハーツの前か後か”に分類できるほど、彼らドブネズミの出現はエポックメイキングな出来事だったのだ。