委員会に協力しなかった日本政府

その非協力ぶりは「日本当局は当初、アメリカ大使館内での米国人ビジネスマンに対する聞き取りすら、ビザ条件外として却下したほどだった」と、報告書は特記している。

日米両国の親密さを考えると、この日本政府の対応は不可解だ。フレイザー委員会の活動を制約したいという政治的思惑が日本政府側にあったのではないか。

もっとも可能性が高いのは1972年8月、朴正熙(パク・チョンヒ)の政敵で韓国民主化を訴えていた金大中(キム・デジュン)が東京で拉致・誘拐され、5日後にソウルの自宅前で発見された事件との関連だ。

当時から、KCIAや在日系組織暴力団・右翼の大物などの関与が取り沙汰されてきたが、日本の保守政権が拉致を黙認していたのではないかという説も根強い。

事件の事後処理が日韓双方の微妙な曖昧決着で終わったこと、KCIAと旧統一教会が密接な関係を構築していたことなどを考えると、日本政府当局がフレイザー委員会による事件の「掘り起こし」を牽制した可能性は充分考えられる。

フレイザー委員会の仕事はけっして完全ではなかったし、その提言も多くは実現することはなかった。文鮮明機関全体としての金の流れは解明できなかったし、税務当局を含む省庁横断的タスクフォースも実現しなかった。それほど統一教会の実態解明は一筋縄ではいかないということだろう。

ひるがえって現在、岸田政権は「宗教法人取り消しに繋がる質問権行使」という初手の段階で右往左往している。宗教法人以外の関連団体(フレイザー委員会の言うMoon Organization)総体の人・モノ・金の調査にはまだまだ及び腰だというのが実情だ。

1970年代、アメリカ民主党は上下両院・大統領府を握り「トリプル・ブルー」の政権与党だった。その政治基盤を生かし、与党のフレイザー委員長は文字通り、身を挺して旧統一教会に対峙し、できるかぎりの調査を行った。今、与党自民党内に「日本のフレイザー委員長」がいないことがこの国の悲劇なのだろう。

文・小西克哉 写真/共同通信社 AFLO