旧統一教会の巻き返し
多くの有益な提言を出したフレイザー委員会だが、78年に終了するとアメリカ政府内でのタスクフォースを作る動きはピタッと止まった。
1980年にロナルド・レーガンがホワイトハウス入りすると、米政界は「レーガン革命」とも言うべき保守の時代に突入する。この変化は旧統一教会にとっては保守政界に食い込む絶好機となった。
フレイザー委員会が警鐘を鳴らした「金の流れを追うべき」という“遺言”は、84年に文鮮明を脱税容疑で摘発し、有罪・収監という成果を生むが、その後の旧統一教会関連団体の世論工作はむしろ一段とヒートアップし、巧妙さを増していった。
旧統一教会は福音派の有名テレビ伝道師やハーバード大の宗教学者、大物共和上院議員らなどを動員し、文鮮明の大統領特別恩赦アピールを大々的に展開していったのである。
その結果、文鮮明は恩赦こそ獲得できなかったものの、1年半の刑期を5カ月減じて出所することができた。
これ以降、アメリカにおいては政治を動かす重要なファクターが世論であることを痛感した文鮮明機関は、保守系新聞「ワシントン・タイムズ」創刊など、メディア戦略を一段と強化・巧妙化させた。
財務面でも日本人コネクションを利用して独自の漁業・卸流通網を開拓し、80年代の米国寿司ブームを支えるレストラン事業や不動産事業を展開し、メディア業での赤字を埋め合わせることに成功した。