「もう一度生まれても、この人生でいいかな」

バブル経済から失われた30年に至る時代の渦のなかで、波瀾万丈なキャリアを歩まざるを得なかった髙橋氏は、自らの歩みをどのように総括しているのか。

そのキャリアを振り返ることはあるか、と尋ねると「そんなこと滅多にありませんけど、幸せですよね」と漏らした。

「不幸なことはないですよ。会社がなくなったって、飢えたわけじゃないですし、健康ですから。もう一度生まれても、この人生でいいかなって」

続けて、もう一つ尋ねてみた。「『拓銀が破綻していなければ』と考えることはあるか」。エリートコースを順調に歩んでいた若手銀行員時代。その先にあるはずだった輝かしいキャリアに思いを馳せ、悔やむことはないのだろうか。

髙橋氏は「それはありました」と答えたあと、拓銀時代の上司であるWとのエピソードを話した。Wは破綻処理時に頭取代行を務めた人物で、髙橋氏の人生の親ともいえる存在だった。

「拓銀が破綻してからずっと後、Wが引退した際に一緒に食事をしたんですよ。そのときに言ってくれたんです。『拓銀が残っていたら、浩二(髙橋氏)も俺くらいには偉くなれたよ』って。

この言葉が僕にとっての宝物なんですよ。それで、もう十分です。これでいいじゃないかって。難局においてトップに登り詰めた人間に『お前も同じくらいにはなれたよ』って言ってもらえたんだから。だから、拓銀のことはもう悔やまないって、そのときに決めました」

人生には何が起こるのかわからない。多かれ少なかれ、誰もが不条理に翻弄され、思い描いた未来とは異なる場所に立っている。その葛藤を乗り越え、目の前の現実を肯定するためには、“あり得たかもしれない未来”とどこかで決着をつけなくてはならないのだろう。

「何が幸せで、何が不幸かなんて分からないけれど、僕は幸せだと思います。ごく普通の中小企業の社長ですが、健全な経営ができているし、何より部下を飲みに誘ったらご馳走できるくらいの給料はもらっていますから。僕はオーナー社長じゃないから、銀座のクラブで一晩に何十万も使うような遊び方はできませんが、部下に『千円ずつ出せ』なんて情けないことも言わずに済んでいます。それって幸せなことなんじゃないかな」

歴史に刻まれる二つの巨大経済事件に巻き込まれ、大きな挫折を味わった人物は、そのキャリアの終盤を満足げな表情で過ごしていた。

拓銀破綻と雪印食中毒事件。平成を代表する巨大経済事件の「敗戦処理」を背負って はこちら