いいコーチこそ選手の記憶に残りにくい

にわかには信じがたい権藤の話だが、抑えをつとめるレベルの投手には、細かい技術指導の言葉は必要なかった、ということなのか。

とはいえ、吉井は1987年までの3年間に合計17試合登板で、翌88年、一気に50試合登板を果たした投手だ。年齢的にもまだ23歳と若く、完全な主力とは言えない。ならば指摘されることも少なくなさそうだが、あるいは、起用法で気づかせるなど〝無言の教え〟があったのだろうか。

「起用法は野村さんですよね。ヤクルトでは僕は先発ピッチャーだったので、交代の時期などによって『すごく信頼されてるな』と感じていました。もうこの回で交代か、と思っていたら続投だったときもあって。本当に信頼されていたかどうかはわからないですけど、そう感じただけでモチベーションはすごく高まりましたね。

その点、権藤さんはコーチでしたから、起用法は最終的に監督が決めることですし、提案もどこまでできていたか……。だから『向かっていけ』と。『マウンドではいつでもバッターに挑戦的な態度でいろ。そのかわり、逃げるときはもうサーッと逃げろ』と。つまり、中途半端なことは言わなかったですね」

とすると、吉井がコーチとして選手たちをサポートしていくなか、その場で出ていた言葉は何だったのか。言い換えれば、吉井が選手に対して「向かっていけ」だけで終わっていたはずがない。

ここで想起されるのが、吉井が特に大事にする〈振り返り〉という作業だ。選手が試合での投球を振り返り、疑問、問題が出たときにコーチは答えを言わず、ヒントを与える程度にして、選手自身で解決する力を身につけてもらう。理想は「選手から話が始まり、選手同士だけで話が進んでいくこと」で、そこにコーチはいない。

権藤と吉井の関係性は、その理想の状態に近かったのではないか。じつは吉井が気づかないうちに権藤が巧みにサポートし、技術を向上させていた。が、吉井自身は「自分で成長できた」と思っている。ゆえに言葉としては「向かっていけ」しか憶えていない。「名コーチ」とは、選手の記憶に残りにくいコーチなのだろうか。

「それはそうだと思いますよ。大学院のとき、コーチングの授業のなかに〈いいコーチに育てられた選手はいいコーチになる〉というような項目があったんですけども、僕はそうじゃないと思ったんですよ。

やっぱり、選手は自分のことしか考えてなくて、いいコーチングされたことなんか憶えてないし、いいコーチはそれを気づかせちゃダメだ、というふうに思ってたので。だから、その授業ではすごい議論になって面白かったんですけども」