問題のありかを伝えるために何をすべきか

巧妙なアジェンダ・セッティングで進められる原発行政をリセットする方法 【日野行介×尾松亮】_03

尾松 ただ、問題自体が分かりにくいから、どうしても複雑な問題の立て方をしないとアプローチできないところがあります。それでも、やっぱり分かりやすい語り方をもっとしていかないといけないと思います。アジェンダ・セッティングの仕方、闘い方、抵抗の可能性みたいなものを示さないと、絶望で終わっちゃう気がするんです。「我々のサジェスチョンは理解されないんだよね」って悲観的に言っているだけではいけないと思うんです。

日野さんは野党議員を訪ねていって、自分の暴いた内容を伝え、国会で質問させていますね。これって記者の仕事としてすごく重要だと私は思っていて、なぜなら国会会議録として長く残るからです。歴史的文書として、国会での責任ある政府の答弁として、そこに残していくというのは重要です。報道による追及と議会による行政監視と、日野さんの報道を受けて裁判も起きているわけです。これが最高裁の判決とかになれば、負けたとしても、そのときの見解というものは記録に残るわけです。

本当に時間のかかる、それこそ30年とか40年後にどうなっているのかとかいう話でもあるわけです。歴史に参加している物書きとしては、あらゆる手段を通じて残していくことが非常に大事だと思っています。私も4、5年前から「日本にも廃炉法が必要じゃないか」という話をしているんです。

すぐにはできないけれど、日本に廃炉法がないという問題について国会で質問する議員たちも少しずつ出てきています。40年後に、更地になっていないのに「廃炉完了です」って言われたときに、納得できない地元の人たちが、過去にどういう議論があったのかを見られるようにしておくには、やっぱり国会会議録ってすごく重要なものになっていくんだと思うんですよね、これも民主主義の問題です。国民の判断に必要な情報を公開するのが前提ですから。

日野 4年前に、ここで『除染と国家』のインタビュー取材をしていただいたときに、報道をプロレスと格闘技にたとえる話をしました。「私がやっているのはプロレスではなく格闘技やリアルファイトだ」と。プロレスはやはり見やすいんですよね。万人受けするというか。格闘技やリアルファイトは分かりにくいし、見たくない人も多い。でもリアルファイトなりの面白さを伝える方法もあるはずなので、楽しみ方も含めて、ちゃんと伝えていかなくてはいけないという気がしています。

――この本で闘ったわけですね。

日野 そうですね。私の場合、言い逃れる担当者を追い詰めるシーンがクライマックスだと思ったので、このやりとりを大事にしました。

尾松 日野さんとランニングしながら担当者個人の責任についてよく話をします。積極的に原発再稼働をしたいわけではないけれども、自分の今のポジションや自分の安泰を優先するために、隠ぺいや情報操作に加担してしまっている人々です。でも、「人間、役人とはこんなもので、これは変わらないんだ」と悲観しても仕方ない。数は少ないけれど、抵抗を示した人たちが存在して、それがやっぱり日野さんの調査報道の核となっている情報提供者だと思うんです。「この情報が隠されているのはおかしい」と憤っている人間が存在する。ウソで塗り固め、フィクションがフィクションを呼ぶ原発行政、完璧なまでに整えられている共犯者のネットワークの中にも、ほんの数ミリのほころびのようなものがあるし、これからも存在し得ると信じたい。

そうじゃないとやっぱり、「この人間社会に未来はない」という結論になってしまう気がする。加害者に加担してしまっている人のほうが一般的に受け入れられやすい気がします。みんなサラリーマンだし、みんな、どっか小役人だし。事実は99.9%そうだろうけれど、そうじゃない人たちというのは存在しています。民主主義を壊す側に加担しないための行動の在り方というのが問われているのではないかと思います。特に原発の問題に巻き込まれてしまった人間というのは常に問われているんじゃないか、と二人でよく話しています。

ちなみに私はロシア研究者として杉原(千畝)(*1)を尊敬しています。第二次世界大戦という過酷な状況下で個人としての職業倫理で行動ができた稀有な人だと思います。

*1 第二次大戦下の1940年、リトアニアの代理領事をしていた杉原は、ナチス・ドイツ占領下のポーランドから迫害を逃れてきたユダヤ系難民たちから、ソ連を通過して日本経由でアメリカなどに逃れるためのビザを求められ、外務省に照会したところ、「発給するな」と命じられたが、「人道上、どうしても拒否できない」と、罷免(ひめん)されるのを覚悟で2000通以上のビザを発給した。これによって多くの人命がホロコーストから救われた。杉原は終戦後に帰国すると外務省を退職したが、本人の死後、2000年に河野洋平外務大臣(当時)が顕彰演説を行い、日本国政府による公式の名誉回復がなされた。

日野 私自身はサラリーマン社会になじめない、プロレスができない、折り合いをつけられない人間です。だから、彼らに対して躊躇(ちゅうちょ)なく追及できるのかなとも思ってしまいます。でも、自分みたいなはみ出し者が少しはいてもいいだろうと。

――そういう人は大切です。社会というか、世界にとって。

尾松 ただ、遠いところにいるつもりだし、いたいとも思うけれど、小役人性、「凡庸な悪」のようなものは、我々の中にもあるんだと思うんです。無縁ではないんだと思うんですよ。だからこそ、「共感しちゃいけない、免責しちゃいけない」という意識を強く持たないといけない。そうでないと、民主主義は壊れるべくして壊れた、ということになってしまうのではないかと恐れています。