――人には共有しがたい個人的な事情もあり得ますもんね。
小説の舞台となったあの時代は「人には人の事情があるよね」という感覚が、もう少し重要視されていたような気がするんです。
この後、主人公がどう生きていくかわかりませんが、彼女は、あのタイミングでいったん、水商売の世界から一息、置くことができた。それは幸運だったんじゃないかなと思っていて。
私、2014年に日経新聞を退職したのですが、そのときに久しぶりに歌舞伎町の近くに住んだんです。それですごく衝撃的だったのですが、親に送ってもらって出勤してくる子がいたんですよね。
昔は、夜の仕事を親に内緒にしてたりとか、そもそもなにかのかたちで親とのつながりを失っていたりしていた。それが「親の車で歌舞伎町に来るようになった」とは、なかなか衝撃的だったのですが、そんなふうに、まったく悲哀みたいなものがなくなって、キラキラした明るい空間になってしまうと「あの子(主人公)は、そのまま歌舞伎町にいたら生きづらかったかもしれない」って思ったりもします。
――明るくなってオープンな社会になることはいいことですけど、黒い部分を白くしてしまえばいいかというと、その先にまた新たな黒が生まれるだけで……。
それまで陰にあった場所だからこそ、そこに居場所を見つけたり、居心地の良さを感じていた人もいる。それが完全にあかるみに出てしまうと、日なたが苦手な人は、生きづらくなったりはするかもしれない。
もちろん、誰も犠牲にならない業界にしなければならないのは当然のことなのですが、明るくなることで、もともと社会の際みたいなところにいた人が、際から落とされてしまうこともなくはない。そうしたことも見てきたので、日陰にあったものをクリーンにすることに対して、100パーセントポジティブな気持ちではいられないところはありますね。