「ワクチンは実験、対策会議はバベルの塔」 養老孟司×宮崎徹のコロナ論_3
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科学者と政治家の感染症対策会議は「バベルの塔」みたいなもの

宮崎 100年ほど前にも、スペイン風邪が世界で流行しました。その時代から、果たして人類の感染症に対する戦略は進歩したといえるのか。いかがでしょうか。

養老 政治という点では、ぜんぜん進歩していないと思いますよ。いま行政が出している施策なら、僕なんかでも政治家となって指示できそうだもの。
「人との接触を避ける」なんていうのは、アマゾンに住む先住民でもやっていることです。人びとへの給付金の配り方も、みんなに10万円を配るなんていうのは単純そのものでしょう。ましてや、マスクを国民全員に配るだなんて。これが、給付できる人とできない人を分けて、給付対象の人だけに30万円を配るといったことになると、とたんにすごく面倒なことになる。だから、政治家としては、支持を得るために「みんなに配ったらいいじゃないか」という考えになるに決まっています。

宮崎 専門家委員会のメンバーとの意思疎通も、うまく行っていないような……。

養老 政治家と専門家とで共通のプラットフォームをつくろうだなんていうのは、実現できっこない「バベルの塔」みたいな話ですよ。同じ塔を建てることを考えていても、話がまったく通じない。だいたい、専門家たちが見ているコロナウイルスと、政治家たちが思い描いているコロナウイルスとでは、感覚的な大きさがまったくちがっているもの。

ニュース番組とかで、よくウイルスの顕微鏡写真が映されて、その横でアナウンサーがしゃべっているでしょ。テレビ画面のなかで、ウイルスと人が同居しているわけです。けれども、もしウイルスの大きさがテレビに映っているサイズだとすると、アナウンサーの大きさは100万キロメートルぐらいのとんでもない大きさになってしまう。そんなに大きさのちがうものを、テレビ画面に同居させちゃっていいのだろうかと思ってしまいます。画面に映っているぐらいの大きさでウイルスを見ようとしたら、同じスケールの人間はあまりに巨大すぎて扱うことはできない。人間の細胞でさえ、1個で数百メートルぐらいの大きさになってしまう。ウイルスからすれば、人間の世界は、人にとっての宇宙みたいなものです。

専門家たちは、ウイルスのことを詳しく調べようとして、テレビ画面に映っているような解像度でもって日々ウイルスを見ている。一方で、政治家たちは、ウイルスを点として見えもしないぐらいの小さい存在として考えている。同じウイルスを扱っているつもりでも、じつは見ているウイルスの解像度がまったくちがうから、話が通じない。

宮崎 専門家でない人が人間とウイルスを並べて考えると、実際の大きさとは異なるスケールでウイルスをイメージしてしまうのかもしれませんね。地球の外にある宇宙空間をイメージするときも、実際の大きさを想像しづらいのと似ています。

養老 僕は化学が苦手だったんだけれど、その理由はそういったところにもありましたね。たとえば、先生が黒板に、水(H2O)の構造式を書くでしょ。黒板に書かれた構造式の大きさは、測ってみたら20センチぐらいになる。いっぽう、水の分子は、実際は1・2オングストローム(100億分の1・2メートル)でしかない。もし、水の分子構造が20センチメートルもあるとすると、僕たち人間は足だけで地球サイズになってしまい、頭は月まで達してしまう。黒板に水の分子の構造式を書いていた先生は、自分がまさかそんなバカでかいものを描いて話しているとは思っていない。僕はそう思っていた(笑)

 トウモロコシを対象に遺伝学を研究して、ノーベル医学・生理学賞を受賞したバーバラ・マクリントックは、「自分はゲノムのなかに立っている」といったことを述べていました。科学者たちは、分子や原子と向き合っていると、そういう感覚になるんでしょうね。


撮影/榊智朗

『科学のカタチ』
養老孟司 宮崎徹
「ワクチンは実験、対策会議はバベルの塔」 養老孟司×宮崎徹のコロナ論_4
2022年8月25日
1,650円(税込)
単行本(ソフトカバー) 200ページ
ISBN:978- 4-478-871850-0
ケムシとチョウ、ウジムシとハエが同じ生き物だというのはヘンではないですか? ――養老孟司
生命のしくみを突き詰めれば突き詰めるほど全体が見えなくなってくる ――養老孟司
五量体は実は「六量体」だった! 奇跡としか思えない。神様が設計したとしたら、相当マメな神様だ ――宮崎徹
新しい薬をつくるには、固定観念の壁を打ち破らなければならない ――宮崎徹

ネコやヒトを救うAIMを発見し、創薬に向けた研究を加速している宮崎徹氏が、鎌倉に住む恩師・養老孟司氏を訪問する中で語り合われる「科学のカタチ」。
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