逆風続きだった最後の1年 田中将大(駒大苫小牧)

ダルビッシュと同じ、のちのメジャーリーガー田中将大(現・楽天)の場合、駒大苫小牧(南北海道)時代の2年夏に一度は優勝投手という栄冠を経験。だが、高校最後の1年は苦しい出来事が続いた。

2005年、第87回夏の甲子園では、2年生ながらチームの主力投手として活躍。最速150キロのストレートと130キロ台後半のスライダーを武器に、駒大苫小牧の「夏連覇」に貢献して優勝投手に。その後、秋以降の新チームでも負け知らず。翌春、第78回センバツでも優勝候補の本命とされていた。

ところが、センバツ開幕直前に卒業間近の3年生部員による不祥事が発覚し、センバツ出場辞退が決定。マウンドに立つチャンス自体を奪われてしまう。さらに、春以降も試合で投げる機会が減ったことも影響したのか投球フォームは崩れ、夏が近づいても球速は150キロに戻らず、変化球のキレも本調子には遠かった。

それでも、「夏3連覇」という大偉業をめざし、2006年夏の甲子園に勝ち上がってきた田中。ところが今度は、大会直前にウイルス性胃腸炎でダウン。体温は38度を超え、汗が止まらない日々が続く。どうにかマウンドには上がったものの、制球が定まらないなど、いつもの田中らしくない投球ばかり。

なんとか早稲田実との決勝戦にまで進んだが、決勝引き分け再試合の末、敗退。田中は「最後の打者」として打席に立ち、空振り三振。駒大苫小牧にとって悲願の夏3連覇はならなかった。