「児童養護施設にいる人はかわいそう」はもう違う モデル・田中れいかさんが訴えること_2
田中さんが暮らしていた福音寮では、ボランティアの先生からピアノを習うことができた。ショパンのノクターンまで弾けるようになり、先生から「そこまで弾けるようになれば立派よ」と褒められたという

「100万円を貯金しなさい」と言われた高一の春

田中さんの本では、施設の担当者や中学の先生など、見守ってきた大人たちの存在も紹介されている。一方で、高校に進学した田中さんは施設の担当者から「これから3年間で100万円を貯金しなさい」といわれる。18歳で施設を出て、自分で生活していかなければならないからだ。そういう支援を打ち切られる若者のことを「ケアリーバー」という。

――ケアリーバーという言葉も、今回の児童福祉法改正で広まった言葉ですが、これについてはどうでしょうか。

「新しいラベリングをされたと私は思っています」

――どういうことですか。

「これまで児童養護施設の出身者みたいなカテゴライズをされてきたのが、ケアリーバーって呼ばれるようになっただけです。もちろんケアリーバーっていう言葉は まあ、キャッチーだし、なんかわかりやすいっていう部分もあるのかなと思うんですが、『また、くくられたよ』っていう気持ちに私はなっています。『ケアリーバー・田中れいかさん』って紹介されると、『うん?』って思います」

――自分で名乗っているわけじゃないですもんね。

「あ、そうですね(笑) でも、そういうカテゴライズの中の活動している『田中さん』になるので、なんかそれはまあ、活動家ならではの悩みかもしれませんが」

「私自身は、講演などで自分の生い立ちを通して、出自に関係なく、誰でも好きな自分になれるっていうことをお伝えしています。生い立ちに関わらず、なりたい自分になれるっていうことが本当なのに、いつまでもずっと生い立ちのことにくっつけられる。とくにメディアさんは好きですよね、ケアリーバーって言葉(笑)。でも今も施設にいる子たちは少なからず、『なんだこりゃ』と思っていると思いますよ(笑)」

――実際、18歳で自立した生活は大変でしたか。

「18歳からは1人暮らしと学校とバイトの両立で大変でした。友だちと一緒にいても、友だちのアルバイト代は遊びとか、アーティストのライブ行くお金になるのに、自分は全部生活費になる。短大生活は楽しかったけれども、そういうお金の使い道の違いを感じたときや、仕送りをもらっている友だちを見て、『私は(仕送りが)ないな』とか、ちょっとしたところで傷ついていました。友だちとの間に壁を作ったり、1人で行動するっていう道を選んだり。自分と友だちとは違う、そもそも施設にいなければ、そもそもこんな親に生まれてなければ、こんな思いをしなくて済んだっていう……結構自分の生い立ちを責めていましたね」

――それが『自分がなりたいものになる』という風に考え方が変わったのは、なにがきっかけですか。

「20歳のときだったかな。私が暮らしていた施設には、自立支援コーディネーターっていう専門職の方がいて、その先生から『せたがや若者フェアスタートっていう支援事業が始まるから、れいかも受けてみない?』って言われたんですよ。当時その事業で支援を受けた人は、毎月必ず地域の方と交流する食事会に出席しなきゃいけないっていう 行政的なルールがあったんです。最初はイヤイヤ食事会に行っていたんですけど、その中でご年配の方や、大学生のボランティア、おばちゃんとか、30代から40代ぐらいのおじさん、おばさんと夜ご飯を食べながら話をする機会があったんですよ」

「たわいもない会話なんですよ。なんかこれといった言葉があったわけじゃないんですけど、みんなそれぞれ大変で、それでも頑張って生きているっていうのを、会話の中から知ることができました。それで『自分は生い立ちを悔やんで、被害者意識というか一種の悲劇のヒロイン的に自分のことを思っていたけど、みんなも大変で、それでも頑張って生きている』っわかったんです。そこから、じゃあ、これから自分の過去は変えられないけど、明日からどんな自分になりたいか考えていこうっていう思考になって、そこから変わっていったっていうのがあります」

「児童養護施設にいる人はかわいそう」はもう違う モデル・田中れいかさんが訴えること_3