指先の繊細さが美を作るお針子たちの世界。移民系フランス人たちにオートクチュールの門戸が開いて欲しいという希望を込めた物語
『オートクチュール』の舞台はフランス、パリ8区にあるモンテーニュ通りに本店を構えるハイブランドのクリスチャン・ディオール。主人公はオートクチュール部門のアトリエ責任者であるエステルという女性で、次のコレクションのシーズンを経て退職する予定です。
オートクチュールとはパリ・クチュール組合に加盟していて、オーダーメイドの一点ものや高級服を取り扱う店舗をさし、現在、サンディカ正式加盟店としてはみなさんご存じのシャネル(CHANEL)、クリスチャン ディオール(Christian Dior)、ジバンシィ(Givenchy)、ジャンポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)、フランクソルビエ、アドリーヌ アンドレ、メゾン マルジェラ(Maison Margiela)、ステファン ローラン(Stephane Rolland)、スキャパレリ(SCHIAPARELLI)、アレクシ・マビーユ(ALEXIS MABILLE)、アレクサンドル ボーティエ(Alexandre Vauthier)があげられます。
エステルはデザイナーのデザインとビジョンを指一本で具現化していく才能の持ち主ですが、ある時、自身のバッグを盗んだ移民系の若い女性と出会い、やり取りをするうちに、可能性を感じ、そのジャドという女性をディオールのお針子としてスカウトします。ジャドには依存度が強い母親がいて、娘の巣立ちを察知するとより依存を強める傾向があり、ジャドは様々な面で自暴自棄になって、アグレッシブで、感情的になる面があり、お針子の修行も一筋縄ではいきません。
それでも何度衝突しても、約束を破られても、エステルはジャドの才能を信じ、チャンスを与え続けます。ユダヤ系チュニジア人としての移民として幼少期をパリ郊外のラ・クルヌーヴで過ごしたシルヴィー・オハヨン監督がリサーチを重ね、近い将来、移民系のフランス人たちにオートクチュールの門戸が開いて欲しいという希望を込めた物語となります。物語のきっかけとなった監督とハイブランドのお針子の方との出会い、そしてナタリー・バイ演じるエステルに、働く母親としての苦労を重ねた背景などをお聞きしました。
お針子さんの下町の喋り方と、華麗なる指の動きのコントラストから発想を得た
──オハヨン監督がオートクチュールの世界を映画の題材にした理由を教えてください。
「大きなきっかけは二つあります。ひとつは私の友人が結婚式のドレスをシャネルで注文していたんですね。ところが、製作途中で妊娠していることがわかり、日々、お腹が膨らんでいくのにどうしようと大騒ぎになったんですけど、私にメゾンに知り合いがいるということで、二人でアトリエに行って問題なく直してもらったんです。
あのカンボン通りの素晴らしい建物に入ったとき、階段の下の部屋にお針子さんたちがいて、彼女たちが話している声が聞こえて来たんです。それがパリの下町っ子のおきゃんのような、かなりざっくばらんな話し方をする女性で、高級でエレガントなドレスのイメージとのギャップがとても面白く感じました。その後、そのお針子の人がアトリエに入って来たんですけど、いざ、ドレスを扱うとそれは繊細で優雅な指の使い方で、そのコントラストに驚いたんです。
そこで私、彼女に聞いたんです。『あなたは5万ユーロもするような、一生、貴方が身につけられないようなドレスを何か月も、何時間も作っていて、ときにはイラっとしたり、腹立たしく思う時はないの?』って。そしたら、『ああ、そんなことないわよ、私、そんなに給料は悪くないし、5万ユーロぐらいの服なんて、自分で買わなくても、作れるわ』って答えたんですね。それを聞いたことが、この映画を作りたいというきっかけになりました。
そういう職人芸、手仕事の素晴らしさは、日本の文化にもありますよね。私には息子がいて、彼は日本がとても好きで、コロナ禍になる前はよく日本に行っていたんですけど、本当に日本の人たちのお土産のラッピングのデリケートな手業には驚きました。オートクチュールのお針子の人たちの、デリケートな指先の器用さに繋がるものがあります」
血のつながった娘との衝突と、義理の娘との関係性を主人公に重ねた
──もうひとつのきっかけというのは、監督が作品で献辞を捧げていたジャドさんと関係はありますか? ジャドという名前は、エステルに見いだされる移民系の女性の名前でもありますよね。
「私には3人の子どもがいるんですけど、この映画は長女のジャドのために作ったようなものなんです。私は一度、離婚したんですけど、それがきっかけで、彼女は私のことを毛嫌いするようになった期間があったんですね。あまりにも私に反抗するので、『そんなに母親のいうことを聞きたくないんだったら、他の女性で母親代わりになる人を見つければいいじゃないの』って売り言葉に買い言葉で言うようになってしまって。
その後、私は再婚して、今度は義理の娘が出来ました。驚いたことは、彼女は私にとっても似ていたんです。学校の勉強をやるし、同じようなものに興味を持っていた。面白いことですけど、血縁で繋がっているはずの娘は私のことを邪険にして、血は繋がっていない義理の娘の方が私に似て、お互いに通じ合った。そういうとてもつらい経験が、ジャドと母親、そしてジャドとエステルの関係性のベースになっています」
ディオールの大株主、アルノーさんはこの映画をとても気に入ってくれた
──オートクチュールといえばコレクションを披露するファッションショーなどの華麗なるイメージが強いですが、この映画では、お針子の人たちの実に辛抱強く、根気強い地道な作業をフォーカスしています。ドキュメンタリーでお針子の方たちの仕事ぶりを見たことはありましたが、みなさんそこではプライベートの顔はなかなか見せません。今作は、アトリエの舞台裏の本音だらけの会話が繰り広げられますが、ディオールからはどうやって許諾を取りましたか?
「フランスでは、自分のテーマを追求する作家主義の映画監督をリスペクトする土壌があるんです。なので、エステルの勤務先としてディオールが決まったときも、まったく問題がなかったですね。私の書いた脚本もいじらないでほしいと要求しましたし、具体的に修正をお願いされたのも、セリフのディテールをちょっと変えるくらいで、ディオール側としてはシナリオをリスペクトしてそのまま受け入れてくれました。
私たちはディオールから資金援助を受けたわけじゃないのですが、本物のドレスを貸してほしい、そして撮影で使わせてほしいという依頼をして、それが認められた形になります(編集部注・ディオール専属クチュリエ―ルのジュスティーヌ・ヴィヴィアンの監修のもと、数々のディオールのドレスが登場)。現在、クリスチャン ディオールの大株主はベルナール・ジャン・エティエンヌ・アルノーさんですが、彼はこの映画をとても気に入ってくれたんですよ」
──エステルが率いるアトリエがとても素敵な空間ですが、あれは本物のアトリエですか?
「クリスチャン ディオールのアトリエは数年前にリフォームされてちょっと変わってしまったんですが、私はラフ・シモンズがディオール就任後、初のオートクチュールのコレクションを開くまでの舞台裏を描いたドキュメンタリー『ディオールと私』の時の真っ白な空間で、どっか病院のようだったアトリエを再現して、クラシックな感じの空間を作りました。フランスにおいて、ファッションというテーマは重要で、結構な数のドキュメンタリーがありますから、リサーチという点では全く問題がありませんでした」
1つのドレスが作られる過程は奇跡のようで、ドレスには魔力があると信じられている
──劇中、とても印象深かった場面が、アトリエ内の数々の迷信です。誰かがハサミを落とすと悪い事が起きるから、全員が作業を止めてアトリエから出ていき、塩で手を洗うとか、細かな禁忌が様々とある風景でした。
まるで服に宿る魂を大切にしているかのような風景だと感じましたが、あれはディオールに伝わるエピソードですか? それとも、映画のために作ったエピソードですか?
「撮影に入る前に、かなりリサーチをしました。お針子の人たちから何人にも話を聞きましたし、クリエイターにも聞き込みをしました。色んな情報を集めるにつれ、アトリエの中にはたくさんの迷信があるということを実感しました。今回、撮影に取り入れたエピソードは、彼女たちが本当に言っていたことです。確かに、オートクチュールの世界は、一つ一つの服がまるで奇跡のように、まるで一つのお守りとか、魔力を持っている、そういうことが信じられている世界なんです。
編集の段階でカットしてしまったんですけど、新しいウェディングドレスを作っているとき、みな、誰がその新しいウェディングドレスを身につけるのかは知らずに作っているんだけど、お針子が自分の髪の毛を、ドレスに縫い込むことがあると聞きました。そうすることで、自分も未来の旦那さんが見つかるとかそういう可愛らしいエピソードもあるんです。そういうわけで、映画に出てくる迷信のエピソードに関しては、私は何も創作していません」
生まれ持った運命に留まらず、そこから抜け出そうとする意志がリナと私の共通点
──先日、リナ・クードリさんに『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』でインタビューをしたとき「このジャドの役が大好き。何かを創造したいと願い、実行に移し、手に職をつけて自立し、自分の人生を生きようとする若い女性の役を演じるのは好きです」と話していました。リナさんはアルジェリアからの移民で、監督はチュニジアからの移民であり、ジャドの背景と重なり合うところもあり、お二人には相通じる部分が多いのではないですか?
「本当に私と彼女には似たところがたくさんあります! 彼女を起用したのは『パピチャ 未来へのランウェイ』(2019)を見たから。あの映画の彼女は素晴らしかったですよね。彼女も私もパリの北の郊外の出身で、そのエリアはパリから距離的には近いんですけど、まるで違う惑星のようにパリとは似て非なる場所なんです。まあ、下町っぽいところなんですけど、私たち実は同じ学校に通っていたという縁もあって、リナはジャドのことを説明するまでもなく理解したんです。ああいう母親がいること、どれだけ狭いアパートで住んでいること、郊外の日常がどれだけ退屈であること。そういうことを説明する以前に、彼女は全ての要素を感じ取ってくれたんですね。それを彼女が映像で見事に表現してくれた。
私と彼女の共通点は、自分の運命として定められた道に留まらず、何とかそこから抜け出そうという意思が強かったこと。そういう境遇ではなかったけれど、私はソルボンヌ大学に行って、博士課程も取りました。リナはアルジェリアで生まれて、アルジェリアの内戦中に両親と共にフランスに避難し、舞台芸術の学位を取得後、ストラスブール国立劇場に入団。映画デビュー作の『Les Bienheureux』(2017)でヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門の主演女優賞を受賞して、2019年の『パピチャ 未来へのランウェイ』(19)の主演や、ウェス・アンダーソン監督の新作『フレンチ・ディスパッチ』、『GAGARINE/ガガーリン』で毎年、カンヌ映画祭にも参加しています。
リナには、その境遇に甘んじていたら期待できないようなことを見事にやってのける意志の強さがあります、仕事に対する取り組み方はとても真剣で、いつも、インスピレーションが頭にあふれ出ている。そういうところも似ていると思いますね」
──私自身は、ナタリー・バイさんが演じるエステル世代ですが、エステルのように若い人の才能を発掘したり、辛抱強く育てたりすることをしていないなと反省しました。エステルはかなり厳しい女性として造形されていますが、ナタリーさんからはどういう反応でしたか?
「ナタリー・バイは小さい頃からバレエダンサーとしてモナコのバレエ学校でそれは厳しい指導を受けて育ってきていますから、エステルのような人を演じることに驚きはありませんでした。映画の中では、ときにジャドに対して、感情が高ぶって攻撃的に反応してしまう場面もありますが、それだけジャドに対して思い入れがあるからこそ、ジャドの反応に傷ついて感情があふれ出してしまう。今の世の中、八方美人的にニコニコとすることがいいという空気がありますが、私としては、エステルのように感情を表に出せるのが人生じゃないかと思います」