思いっきりエンターテインメントに
稲葉 よくよく考えてみたんですが、僕の貢献は、最初に企画を提案したことぐらいかもしれません。それを安壇さんが見事に作品として仕上げてくれた。
安壇 法律や音楽などで分からないことについて、たくさん質問させていただきましたよ。そのたびに懇切丁寧なお返事を頂戴しました。
稲葉 それは編集者として当たり前の仕事です! ただ、自分でも頑張ったなと思う案件が一つあります。「橘がとある事情から上司が保存した社内サーバ内のデータを削除しなければならなくなる」という当初の設定に関して、安壇さんから「どういうやり方がありますかね?」と質問を頂戴したんですが、分からなすぎて本当に困ってしまって。社員がPC関連の疑問を出すと答えてもらえる、カスタマーセンターのような部署が集英社にはあるんですね。ざっくり言うと「上司のPCをハッキングする方法を教えてくれませんか?」というメールをそちらに送ったら、めっちゃくちゃ怒られました。
一同 (笑)
――秘話は尽きないようですが(笑)、改めまして最後に一言ずつ頂戴できたらと思います。
稲葉 この題材でどこまで書けるものなのか、当初は不安もあったんです。でも、第一楽章の原稿を読ませてもらった時点で、「ここまでリアルに描けるのか」と。後半に当たる第二楽章を読んだ時には、「ここまで面白くできるのか!?」と大興奮でした。過去二作にもあった物語・関係性の余白を豊かに想像させるシャープな文章や、感情のトリガーの効果的な配置といった安壇さんの強みはそのままに、思いっきりエンターテインメントにしてくださった。そして、セールス的にも爆発した。作家の大きな飛躍に立ち会えて、感無量です。
山本 感情って不確かなもので、移ろいやすいものじゃないですか。それは救いにもなるんじゃないかと思ったんですよね。たとえ相手から信頼を失ったとしても、そこで関係が固定されてしまうのではなくて、また変わるかもしれない。あるいは、人を恐れる気持ちを抱いてしまったとしても、飛び越えられるんだということを描き切っていると思うんです。この作品と出会えて本当に幸せでした。
安壇 著作権をめぐるサスペンスの要素を張り巡らせつつ、深海のイメージを散りばめた音楽小説に仕上げることが叶った作品だと思います。「信頼とは何なのか?」という大きなテーマを橘とともに追いかけてくだされば幸いです。静かなるスパイの暗躍と葛藤を、どうぞラストまで見届けてください。
取材・構成=吉田大助/撮影=平木千尋
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