「いや全然平気やし」。とカッコつけてしまうことこそが“背伸び”だった
――本の中でも「人に相談をしない・できない」と繰り返し書かれていました。それは今もそうなんですか?
全然変わりました。今は信用できる仲間がいるので、何か引っかかることがあったら「どう思う?」って全部聞きます。今までのキングコングの活動は、やっぱりどこか西野がリーダーシップをとってやってきていたんですよね。だから僕はカジサックを始めてから、社会人になって初めて自分がリーダーになったんだと思います。そこでリーダーとしてどうあるべきかと考えたときに、それこそ「ホウ・レン・ソウ」って言いますけど、周りにちゃんと相談するのは大事だと思ったんです。
というか、昔はそうだったんですよね。友達に相談もしたし、「これやろうよ」って自分から持ちかけることも多かった。よく言ってることなんですけど、“カジサック”って高校生までの“梶原雄太”そのままなんです。芸人になって厳しい世界を見てガラッと人格が変わってしまったのが、もとに戻ってきた。
――キングコングの梶原になって相談できないタイプに変わったのは、自分を守るために鎧を身にまとう感じだったんでしょうか。
僕たちの売れ方が特殊だったんで、やっぱり芸人仲間からのやっかみがえげつなかったんですよ。周りは先輩ばっかりだし、そりゃ鎧もつけますよね。相談しようにも嫌われてるし、したって嫌われてるしが、この20年間常にありました。もちろん、この世界でやっていく以上は仕方ないことだとも思ってましたけど。
――相談できないことや鎧を身にまとうことは、いずれも人に弱さを見せられないこととイコールですよね。自分の弱さをさらけ出せない、人に共有できないから余計状況が苦しくなっていく、というような。
本当にそうだと思います。かっこつけてしまうんですよね。「いや全然平気」みたいな。特に、キングコングはそう見せておかないといけないと思ってました。なぜなら西野がそうだから。あれはやっぱバケモンなんですよ。素っ裸で走り回ってるじゃないすか(笑)。僕はずっと鎧を着てるけど、横見たら裸で走り回ってる。だから「自分も西野みたいに振る舞わないと」って思ってしまってた部分がありました。それこそが背伸びなんでしょうね。今は本当にまったく背伸びをしてなくて、それこそ裸で走り回ってる感じがします。
――嫌われることを恐れなくなった?
ちょっと悲しい話ですけど、嫌われること自体には途中からもう慣れてました。その上でいろんな経験してYouTubeやりだしてからは、嫌われることの素晴らしさもちょっと感じるようになって。何が嫌いかは十人十色だからしょうがないし、その上で「手のひらひっくり返させたらええやん」って。今はもうあえて炎上させる手法はまったくとってないですが、カジサックとしてのデビュー時にそこを狙っていったときと考え方は変わっていないです。
――それは自分で責任がとれる環境だからというのもあるんでしょうか。テレビは編集があるし、演者の方に最終的な決定権がないですよね。
それはあるかもしれないですね。テレビの場合はお願いされて出ている立場で、番組によっては台本があって、それをなぞってやった結果嫌われたりする。そうすると「いや、求められたからやってん……」って、やっぱり納得いかなかったりするんです。でも今は自分で全部決めてるから、失敗しても納得できるしすぐ謝ることもできる。そこは大きく違うと思います。
ありえないかもなんですけど、テレビの会議に演者も出てもいいと思うんですよね。僕は今、週に1回6〜7時間YouTubeの定例会議をやってます。ひょっとしたら『ガキ使』(『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』/日本テレビ)とかは感覚的に近いのかもしれません。そうやって自分が企画段階から関わっていると、どんなことがあっても納得できるし、次に活かせるから。
――あらためて、本当にカジサックさんにとってYouTubeと出会ったことが最大のターニングポイントだったんですね。それによって生き方からガラッと変わっている。
そうですね。僕はもともと全然自信がなかったし、いっぱいしんどい思いをしてきたし、その最中は「いつかきっと明るい未来がくる」なんて考えられなかったです。でも失敗や挫折を繰り返して今の成功があって、そこで初めて「あのときしんどかったな」と思えるようになりました。
だから、いま背伸びしててしんどかったり、まだそれに気づけてもいなかったりする人たちに何か言えることがあるとすれば、「本当にやりたいことをしているのかどうか、もう一度考えてみてもいいんじゃないか」ってことですね。そうしたら、自分に向いているものや実は持っているスキル、武器に気づけたりするんじゃないかな、と思います。
撮影/神田豊秀 取材・文/斎藤岬