おじいちゃんの一言が背中を後押し

「あと2〜3週間で日本へ行くかどうか決めないといけません」

キーウのホテルでそう語るアナスタシーヤさんの心は揺れていた。

取材から2か月後、メッセンジャーを通じて彼女に連絡をしてみると、こんな返信が届いた。

「私は結局、留学に行くことにしました。6月上旬、東京に到着しました」

都内でアナスタシーヤさんと再会した。真っ赤なチェリーが描かれたスカートを履き、艶やかな出立ちの彼女は、キーウで取材した2か月前に比べ、少し吹っ切れたような表情をしていた。留学を決めるまでの経緯をこう説明する。

「留学に行くかどうかは本当に50%でした。ロシア軍に攻め込まれたウクライナからはやっぱり離れたくなかったんです。キーウは私の家ですから。どうして他人に私の家を追い出されなきゃいけないのですか。一方で、せっかく掴んだ留学のチャンスをロシア軍によって潰されたくはなかった。ロシアが始めた戦争はウクライナの人々の普通の生活を奪っています」

キーウではよく、祖父と一緒に散歩をした。「留学に行ったら、これからの散歩は寂しくなるなあ」と言われたが、同時にエールも送ってくれた。

「頑張ったんだから、この留学の機会を逃さないで。早く日本に行っておいで!」

後ろ髪引かれる思いを胸に、アナスタシーヤさんは旅立った。今後は法政大学で、日本におけるウクライナ人従業員の問題についての研究を進める予定だ。

来日して感じたのは、「ウクライナから来ました」と自己紹介をすると、「ああ、今は大変ですね」という周囲からの反応だ。