――つい現代社会の人間観を持ち込んでしまいそうになりますが、それだけでは描けない切実なリアリティがある。
王朝において後継者問題は永遠の課題です。中国の歴代王朝は後宮という方法でこれを解決してきました。一夫一婦制をおもに採用していた西洋の王朝でも王位継承にまつわる悲劇は絶えなかったのですから、一夫多妻制ばかりを悪者にすることはできないでしょう。誤解を恐れずに言えば、皇后や妃嬪など多数の女性が皇帝の子を産む後宮制度はひとりの女性だけに出産や育児の負担を押しつけず、皇位継承に関連するリスクをうまく分散した、ある意味では女性にやさしいシステムという側面もあるでしょう。もちろん、後宮が女性たちに強いた不自由、人権蹂躙は目に余りますが、実際にあまたの王朝で用いられ、皇統をつなげていく役目を果たしてきた後宮というシステムを、現代の価値観から一方的に批判することはしたくないと思いながら作品を書いています。
ちなみに先ほど例に出した弘治帝をモデルにして一作書こうかなと思ったことがあります。が、皇后以外に妃のいない後宮では陰謀渦巻く愛憎劇が作れないのでやめました。後宮という舞台で一夫一婦制を書くことに意義を見いだせなかったんです。現代の価値観を描くなら現代を舞台にしたほうがよいですね。同様に後宮を舞台にするなら、後宮がリアルに存在した時代の価値観に敬意を払うのがマナーではないかなと思います。
――各巻のあとがきでストーリーの参考にした歴史的事象が紹介されているように、はるおかさんは中国史への造詣が深く、膨大な資料をふまえて作品を執筆されています。史実を尊重しながらフィクションを描くという、そのバランスに気を使っておられるのですね。
史実をフィクションに取り入れる際には、史実は材料にすぎないということを意識しています。史実をなぞっていくだけなら、歴史書そのものを読んだほうがはるかに面白いし、勉強になります。しかし、小説はどこまでいってもフィクションなので、適度に嘘を混ぜていくことが肝要だと思います。また単純に、中国史は現代人にとって理解しがたい部分や、残虐すぎて目をそむけたくなる部分が多いので、小説として読めるレベルまでやわらかい表現にするという作業をしています。
――「後宮史華伝」シリーズの後宮制度は、明王朝を参考に作られているとのこと。さまざまな時代があるなかで、なぜ明をモデルに選ばれたのでしょうか?
『後宮詞華伝』を執筆した当時はそこまで特定の王朝にこだわっていなかったのですが、書き進めながら明の歴史を調べていくにつれて、魅力を感じるようになりました。王朝の初期は往々にして血なまぐさいものですが、明の場合はその生々しさが顕著です。粛清に次ぐ粛清、玉座をめぐる骨肉の争い、加速していく独裁と弾圧――おびただしい屍の上に築かれた血染めの王朝といっても過言ではないでしょう。
しかし、政治基盤がととのい、時代が進むにつれて、いろいろな文化があざやかに花開いていきます。陶磁器、絵画、絹織物、音楽、演劇、印刷出版など、日本に影響を与えたものもすくなくありません。有名な『三国志演義』や『金瓶梅』を生んだのも明でした。ここだけを見ると華麗な王朝なのですが、繁栄の陰ではたびたび登場する暗君のもとで官僚が私腹を肥やし、秘密警察・東廠(とうしょう)を用いた恐怖政治が行われ、残虐な処刑がくりかえされています。強烈な光と影が複雑にからみあって織りあげられた王朝であればこそ、濃密な人間ドラマを見ることができます。
――はるおかさんは明王朝のどういったところに魅力を感じているのでしょうか?
明の大きな特徴といえば、暗君が多いことですね。中国史を見るときに、私は名君より暗君や暴君に注目してしまいます。なぜなら後者のほうが面白いからです。優等生皇帝の事績をたどっていくのは教科書を読んでいるようで肩がこりますが、皇帝制度そのものを内側から破壊するような、言うなれば王朝の反逆児たる暗君や暴君は良くも悪くも個性的で、不健全な魅力に満ちており、ついつい感情移入してしまいます。もっとも、彼らの破滅的な人生につき合わされるのはごめんなので、暗君や暴君の治世には生きたくないですが……はたから見るぶんには、彼らほど想像力をかきたてる存在はありません。
不健全な魅力といえば、明を陰から支えた(?)巨大な宦官組織もそうですね。皇帝権力に寄生して欲望のままに生きた彼らの怨念じみた野心も、私が明にひきつけられる理由のひとつです。
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取材・構成/嵯峨景子