大人にこそ刺さる名言④「『キャラだから』って言ってるうちに自分が本当はどうしたいのかわかんなくなっちゃったもん」
高校生の朝は、やりたいこと、自分に向いていることがまだわからない。
学校生活の中での、すなわち小さいスケールの中での、やりたいことの片鱗は見えているものの「私のキャラではない」と尻込みする朝に、槙生の友人・もつが自分の後悔を語る場面。
自分よりも適任な人が目の前に現れたり、自分の性格や求められているキャラクターに似合っているかどうかで自分の気持ちに蓋をしてしまう。そんな大人にこそ、このセリフは刺さるのではないか。
大人になればなるほど、無意識に他人の前で見られたい自分を演じてしまう。物わかりのいい自分や、他人を優先する自分。
人生を通してやりたいことは分からなくても、その瞬間「やってみたいと思うこと」くらいならあるという人は多いだろう。
キャラという言葉で自分自身を縛り、本当にやりたいことに対して見て見ぬフリをするのは、他ならぬ未来の自分を傷つける。
日々のタスクに忙殺されるときだからこそ、他人視点ではなく、自分の心に芽生えた小さなわがままを大切にしてあげることの重要さが沁みるセリフだ。
大人にこそ刺さる名言⑤「本当にやりたいと思ったならどんなにつまんないことでもやんなさい」
自分のアイデンティティを探し求める朝に、槙生が放つ一言は、私たちも「誰かにこんな風に声をかけてほしい」と願いながら生きてきたのかもしれないと思わせてくれるセリフだ。
どんなに強く願っていても、夢が叶うとは限らない。
それでもこのセリフを読むと「無謀な夢でもバカにせず背中を押してくれる大人がいたら……」と思わず過去を振り返ってしまう。
大丈夫、まだ遅くない。夢を追いかけるのに期限はないし、やりたいことの規模も関係ない。前へ進むエネルギーに満ちた言葉は、槙生から私たちへのギフトのようにも感じた。
この先、新しく何かを始めるときに渦巻く不安を断ち切るお守りとして、胸に刻んでおきたいセリフだ。
自分を信じる強さがときには必要
人より優れた何かを持つことで社会の中で生きやすくなるだろうし、明確に数字として打ち出される実績によって自己肯定感が上がることもあるだろう。
しかし本来、世の中に同じ人は決していない。「みんな違ってみんないい」という感覚を持つことの大切さを『違国日記』は説いている。
気がついていないだけで、誰しも必ずその人だけが持つ良いところがある。
一つのコミュニティでうまくいかなかったとしても、それはたまたまその人が本当に真価を発揮できる場所ではなかったというだけであって、自分を責める必要は全くないのである。
日々の中には上手くいかないことや、絶望してしまうような出来事もあるだろう。
しかし、少し物事の見方を変えれば自分の心の声に素直に生きることができる世界が存在すること、そしてそれを認めてくれる人が世の中には必ずいることへの希望を持つことができる。
『違国日記』は現代の全ての生きづらさを感じる人へ、強いメッセージ性を持って明日を照らすヒントをくれる作品だ。
作品情報
違国日記
ヤマシタトモコ
「フィール・ヤング」(https://feelyoung.jp/)にて連載中
https://www.shodensha.co.jp/ikokunikki/