「友達は誰もいなくなりました」

実家に戻った臼田被告は、死刑廃止や反原発の運動に参加するようになった。父親も、抗議活動中の息子を訪ねたことがあったという。

「あまり友達をつくる性格ではなかったですね。それでも一緒に暮らし始めたころは死刑反対運動に熱心に取り組んで、廃止を求めるグループに入っていました。彼なりの正義感を持っていて、死刑は残酷だということだと思うのですが、理由について話をしたことはありません。

その後、東日本大震災の後は反原発運動に取り組むようにもなりました。東京電力福島第1原発事故を受け日本中の原発が止められましたが、震災翌年の2012年に野田佳彦政権が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を図った時の抗議運動に参加し、現地へ行ってテント生活を1年か、もっと長く続けるなど抗議をしていました。

実は私も、原発は危険極まりないと思っていて運転には反対で、テント生活をしていた息子を訪ねカンパをしたこともあります」

若かりし頃の臼田被告(家族提供)
若かりし頃の臼田被告(家族提供)

活動を通じて知り合った女性と交際し、川口の自宅で同居していた時期もあった。父親は結婚を勧めていたが、その交際も終わったという。そして大飯原発の再稼働後、息子の暮らしは変わっていった。

「再稼働阻止がならず家に帰って来た時、息子は挫折感を抱えていたと思います。付き合いを全部断ち切り、友達は誰もいなくなりました。人間関係が面倒くさくなったんじゃないですか。自分一人でやるのが一番楽だっていうこと。それで部屋にこもって、ホームページの制作の仕事をしながら勉強を始めました」

父親によれば、臼田被告は行政書士試験に合格。学んだ法律知識を使い、以前勤めていた運送会社の未払い賃金をめぐって刑事告訴したほか、選挙の供託金制度をめぐる本人訴訟も起こしていた。