自民党本部前で火炎瓶を投げつけた男、初公判で「日章旗」を破り捨て…
11月2日、東京地裁。臼田被告の初公判の傍聴券を求め、20席に対して190人以上が並んだ。その法廷では、公判が一時中断する事態となった。社会部記者が解説する。
「臼田被告は名前や生年月日の確認に答えず、起訴内容について問われると、傍聴席に向けて日章旗を模した紙を掲げ、その場で破り捨てました。公判は一時中断。本人は認否を明らかにせず、弁護側は公訴棄却を求め、事件についてすべて争う方針を示しました」
事件が起きたのは、2024年10月19日の午前5時43分ごろ。早朝の永田町で、自民党本部と首相官邸が相次いで襲撃された。
「臼田被告は防護服とガスマスクを身につけ、軽ワゴン車で自民党本部前に乗りつけました。高圧洗浄機で液体を噴射、火炎瓶を相次いで投げた後、約600メートル離れた首相官邸前へ移動、車両の進入を防ぐ柵に車で突っ込みました。
起訴内容によると、自民党本部前では、警戒中の機動隊員らに火炎瓶5本を投げて殺害しようとしたほか、官邸前では自分の車にも火炎瓶2本を投げて燃やしたとされています。車内からはガソリン入りの16個を含む約20個のポリタンクが見つかっており、引火すれば被害が拡大するおそれがありました」(同前)
事件直後、「集英社オンライン」は埼玉県川口市の自宅を訪ねている。同居していた父親の歯科医師(当時79)は、息子が使っていた部屋を案内しながら、こう話した。
「息子は、2歳の時に私が離婚し、すぐに再婚した後妻のもとで育ちました。地元の公立小学校から中高一貫の私立へ進みました。成績は悪くなかったと思いますが、イジメを受けていたようです。
私は医者になってほしいという希望があって2回ほど話をしましたが、息子は大学に進学しようとしませんでした。親の方針に従いたくないということだったんじゃないですかね」
高校卒業後は川崎市の運送会社に勤め、寮で約8年間暮らした。その間、正月にも帰省せず、父親にとっては「家出」に近いものだったという。帰ってきたのは、父親が後妻と離婚した後のことだった。
「息子は後妻とは一緒に暮らせなかったから、私が後妻と別れたことは、父親が自分を選んでくれたのだと思って安心したのだと思います。戻ってきて、食事を作ってくれるなど、親子の関係は穏やかでした」













