阪神・淡路大震災では救出された人の約8割が「自助・共助」
では、防災庁という組織があっても、なぜ自分で身を守る必要があるのか。
その理由を物語るのが、1995年に発生した阪神・淡路大震災のデータだ。
政府の「令和8年版防災白書」によると、この地震で生き埋めになった人のうち、約8割が家族を含む自助や近隣住民による共助で救出された。一方、救助隊などによる公助で救出された人は約2割だったという。
もちろん、これだけで消防や自衛隊などの救助活動の重要性が低いとはいえない。
ただ、大災害では多数の建物が同時に倒壊し、道路も寸断される。消防や警察、自衛隊などが、助けを求めるすべての人のもとに直ちに駆けつけることは難しい。
さらに、今後懸念されている南海トラフ巨大地震は、阪神・淡路大震災をはるかに上回る広域災害になると想定されている。
政府が2025年に公表した被害想定では、最悪のケースで死者は約29万8000人、全壊・焼失する建物は約235万棟に達する。
震度6弱以上の揺れや高さ3メートル以上の津波が想定される市町村は、全国31都府県の764市町村に及ぶ。
これほど広範囲で被害が発生すれば、行政の人員や物資、輸送能力が一時的に不足することは十分に考えられる。
災害の発生直後、自宅の家具を固定しているか。手元に飲み水や食料があるか。津波が来た場合、どこへ逃げるべきかを知っているか。
こうした備えの有無が、救助や支援が届くまでの生死やQOL、健康を左右する可能性がある。
一方で、「自助が必要」という説明だけで、防災庁への批判を退けることもできない。
災害への備えには経済的負担が伴い、高齢者や障害者など、自力で避難することが難しい人もいる。防災を個人の責任に押しつければ、支援が必要な人ほど取り残されかねない。
そもそも防災庁が新設された目的は、国民に備蓄を呼びかけることだけではない。
防災庁は今回、国民だけでなく、都道府県や中央省庁にも緊急要請を出している。
都道府県には避難所の生活環境の改善や災害時の応援受け入れ体制、帰宅困難者対策などを求めた。
中央省庁に対しては事業継続計画の見直しや防災対策の推進を要請。都道府県と各省庁には年末までの進捗報告を求め、必要に応じて再要請や、関係行政機関の長に対する勧告権の行使を検討するという。
つまり、今回の緊急要請は、国民だけに責任を求めるものではない。
細野氏も会見で、防災庁の体制を強化し、国民の命を守るために全力を尽くす考えを示している。
実際に災害が起きたとき、国や自治体がどれだけ迅速に人命を救助し、避難所を整備し、物資を届けられるか。その能力を高めることが防災庁の存在意義だ。
しかし、それと同時に、国民が自らの命を守るために準備しておく必要性も無くならない。
細野氏は10月末、今回の「緊急要請」が特別な地震予知情報を受けたものではないことも明らかにしている。あくまで、いつ発生してもおかしくない災害への事前準備を促すものだ。
政府が果たすべき責任を厳しく問うことと、自分や家族の命を守るために備えることは、決して矛盾しない。
防災庁が本当に必要な組織なのか。その答えは、国民への呼びかけだけでなく、今後どれだけ具体的に防災体制を改善できるかによって問われることになる。
文/集英社オンライン編集部













