ラジオの本質は「雑」
小川 TaiTanさんはどういうラジオを聴いていたんですか。
T 僕は爆笑問題ですよ。だから事務所の名前を取って、ストレートに「タイタン」です。『JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)とかは、それこそただ会話を聞いているだけみたいな空気感がありました。
逆に言うとそういう空気感以外のラジオ番組はほんと嫌いでしたね。ダサいことを噓ついてやっている感じが、すごく嫌でした。でもそのほうがリスナーを熱くさせるんですよ。それをわかりながら、みんなに噓ついてやっている番組群には、乗れなかったですね。
小川 リスナーに名前を付けたりとか、そういうことですか?
T 名前はギャグみたいなものなので気にならないんですが、なんだろうな。共犯関係を過剰に結ぶってことじゃないですかね。ラジオは関係を過剰に結びやすいメディアなので、たとえばラジオの鉄則で「皆さん」じゃなくて「あなた」と呼びかける――みたいな。
要は「ラジオはトゥーユーのメディアだから、もちろん不特定多数が聴いているけど、必ず二人称は〝あなた〟にしましょう」といった、〈ラジオ的な法則〉があって、そういう感じには、まったく乗れないんですよね。「過剰に誰かとの関係性を結ぼうとする力って嫌だな」みたいなことは思っていました。
小川 僕はそこまで考えていなかったかもしれない。周りにラジオが好きな人もいなかったし、もちろんメディアとして存在しているのは認識していましたが、そもそも僕、一方的に「人の話を聞く」ことがそんなに好きじゃないんです。会話したほうが聞きたいことが聞けるような気がするじゃないですか。
ラジオは誰かの話を聞くメディアですが、比較すると本のほうが推敲されているし、圧縮もされている。得られるものの密度が大きい。本はノンフィクションでもフィクションでも同じように著者の想像力の真髄が詰まっていて、読むことでより著者と深く繫がれるし、純度も高いですよね。本や文字メディアのほうが濃密なコミュニケーションだと思っていたから、ラジオの良さがあまりわかっていなかったんです。
――ラジオのもつライブ性はどうでしょう?
小川 極端に言うと、僕は音楽のライブもあまり興味がなくて、そんなに行ったこともないんです。パッケージングされた作品のほうがいいじゃないか、という考えだったので。でも年を経るにつれ、だんだんとそのライブ性の面白さとか、あと自分自身が純度をそのまま受け取ることもできなくなって、むしろラジオぐらいの雑さのほうが、ほどよく情報が入ってくるというか、だんだん考え方が変わってきました。
大森 確かに。僕も日頃テレビの仕事をしていると、生放送は別として、基本的に完全にパッケージングされていて、細部まで徹底的に修正されているんですよ。
カットの編集はもちろん、音や微妙な息づかい、ある種ノイズになりそうなものはすべてパージ(削除)されています。でもラジオや音のメディアは、ノイズの部分が残っているところが面白いですね。
たとえばラジオだとオリエンタルラジオの喧嘩回がバズったりしますけど、人と人がぶつかる瞬間がそのまま記録されて配信されるのが面白い。だって配信されていることを当事者たちもわかっているわけだから、喧嘩している自分たちのことを俯瞰で見ながらショーアップしている。同じことに映像がついてくると、さすがにグロテスクすぎてできないと思います。そういう部分が残るメディアに面白さを感じますね。
(集英社クオータリー『kotoba』2026年秋号より一部抜粋し、修正しました。続きはkotoba本誌でご覧ください)
取材・文=矢内裕子 撮影=幸田 森















