ラジオと小説はとても似ている

左から、小川哲、TaiTan、大森時生。鼎談場所のTANAMAX STUDIOにて撮影
左から、小川哲、TaiTan、大森時生。鼎談場所のTANAMAX STUDIOにて撮影
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小川哲(以下、小川) 僕はラジオを聴く習慣がそもそもなかったんです。意識してラジオを聴いたのは、自分がラジオのパーソナリティをやることになったときで、今も同じです。他人のラジオを熱心に聴いていないので、三人の中で一番ラジオが何かをわかっていないかもしれない。

TaiTan(以下、T)  面白いですね。僕は普通に中学生くらいからラジオが好きで、それこそTBSラジオとか聴いていたタイプの人間です。だからあまり触れてこなかったメディアの領域で小川さんがコンテンツを作ってみようと思うことが、すごく不思議かも。僕の場合は、自分が聴いてきたから「こういう方法論だったらありうるだろう」みたいな仮説が日々、蓄積されていたので。

小川 僕はラジオと小説はとても似ていると勝手に思っているんです。テレビよりもラジオのほうがメディアとして、より一対一で話しかけていて、リスナーと繫がっている感じがする。全体に向けてしゃべるのではなく、こっそりとリスナーに向けて話しかけている感覚が、僕が著者として、読者としているコミュニケーションに近い気がしているんです。

もう一つ、ラジオは基本的には言葉だけのコミュニケーションですよね。もちろんトーンや口調、速さとかいろいろな要素はあるけれど、情報として言葉が一番強く乗っているメディアなので、そういう意味でも小説と似ているんじゃないか。

だから、ラジオを聴いてきた経験はなくても、読書や小説家としてやってきた経験をラジオに生かすことはできるんじゃないかと思うんです。逆に、ラジオで学んだことを小説に生かすこともできるんじゃないかと考えています。

T すごく面白い。その感覚は正しいと思いますね。ラジオは広く浅くのメディアではないから。

大森時生(以下、大森)僕も小川さんと似ていて、ラジオを聴いていた経験があまりないんです。当時、ラジオは自分にとってノリきれないところがあり……、さらに言うとラジオはウェッティなものだというイメージをもっていました。それが当時の僕にはクールではないように感じて、少々忌避感がありました。

たとえばラジオが好きな人って、ある番組のファンであることを誇りにするみたいな感覚があるように感じていて。

小川 ああ、カルトっぽい感じ?

大森 カルトっぽさというか、リスナーであることとアイデンティティが一体化している様子に僕はあまり乗れなかったんです。最近、ラジオ番組から派生したイベントが多くて、かなりの集客がありますが、ああいうファンダム(ファンによるコミュニティ)を作る力がラジオにはあると思う。

すごいなあと思う一方で、高校時代のそれなりに肥大化した自我の中では、ノレないところがありました。今となってみれば、正直、そこまで嫌なわけではないんです。どういう熱量でラジオを聴こうと自由だし、ファンダムの形の一つだと本当に思います。

でも大学生くらいになると、ラジオに近いポッドキャストがいろいろ出始めて、社会人になるあたりで、それこそTaiTanさんの『奇奇怪怪』を知ったときには「すごく好きだな」と思いました。

――それまでのラジオとは違いましたか?

大森 『奇奇怪怪』はただ会話を聞いているという状況でいられて、リスナーとの分離があると感じられたんですよね。自分にとって興味がある物事について、軽やかにしゃべっていて、それをリスナーとしてウェッティに楽しむのではなく、ただ受け取っていればいいというのが、僕にとってラジオとは異なるものでした。

「ラジオ」と一口に言っても、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)などごく一部の番組について「ラジオ全体」のように語るのも、やや雑ではあると思います。ともあれTaiTanさんのやっている番組を聴いたり、小川さんとのポッドキャストをプロデュースしてもらうなかで、いろいろ聴くようになりました。でも毎週、必ず聴いているものはないですね。