「現存日本最古の駅名」は、あたり前の命名だった?
駅名の由来は、東海道の日本橋を出て最初の宿場となる品川宿だ。そもそも、品川宿は1601(慶長6)年に設置され、江戸末期には付近では最大の町になっていた。当然のように、利用客を期待して駅が設けられたのだ。
品川とは、目黒川の河口部分が「品川」と呼ばれていたことに由来する地名とされている。そこには古くから港があり、交易地となっていた。「品物が行き交う川」が語源との説だ。
品川駅は新橋(後の汐留、現在は廃止)〜横浜(現在の桜木町)間鉄道の駅だ。新橋~品川間の工事が遅れたため、取りあえず出来上がった品川〜横浜間で仮開業を始めた1872(明治5)年6月12日(旧暦5月7日)に誕生した。
この時、途中駅はすべて未開業であったため、現在の桜木町とともに、日本最古の駅になる。初代横浜駅は1915(大正4)年に、2代目横浜駅(現在の高島町交差点付近)が開業した時に桜木町と改名されているから、品川が現存する日本最古の駅名ともなる。
そして品川駅は、「品川区ではなく、港区にある」と何かと話題になるところ。確かに“冷和の常識”から見れば、高輪駅とでもした方がしっくりくるかもしれない。しかし、駅が計画、開業したのは明治の初めも初め。つい数年前まで続いていた、“江戸時代の常識”から推し量る方が妥当だろう。
品川宿は、場所的には現在の京浜急行電鉄本線の北品川駅から青物横丁駅の付近まで、東海道の道筋に沿って、宿屋など多くの民家が建ち並んでいた。京浜急行電鉄本線の各停に乗ると、品川から南へ向けて発車しているのに次が北品川。この駅名は「品川宿の北側」が由来なので、矛盾はしない。住民の利便を考えれば、品川は駅を設けて然るべき場所なのである。
ではなぜ、品川駅は今日まで続く現在地が設置場所として選ばれたのか。
旧東海道の道筋は今もよく残っている。品川宿はこれに沿った南北に細長い町で、目黒川を境として北品川宿と南品川宿に分かれる。さらに北品川宿の北側には歩行(かち)新宿と呼ばれる、新しい宿場町があった。
宿場町の中心地を目黒川を渡る品川橋と見なせば、そこから品川駅までは北へ約1・5km、徒歩20分ほどだ。江戸時代の距離の単位である1里は、約4km。宿場町から品川駅までは、半里もない。日本橋から川崎宿までは20km強あって、川崎宿の近くの川崎大師まで、健脚ならば江戸から日帰り参拝出来たと言われるから、当時の人々の距離感覚がわかる。
1・5kmなら、現代人でも楽に歩ける距離だ。当時の人はまったく遠いとは思わず、かえって「近くに駅が出来た」としか思っていなかっただろう。何せ、前例はまったくない。明治時代の末までには鉄道網が全国に張りめぐらされて、陸上の交通機関の王者となる、そのはるか前の話だ。駅までの距離感覚も「そんなものか」との感じだったか。現代の空港や新幹線の駅に近いかもしれない。













