真打への道で学ぶ、落語において大切なこと
阿良川志ぐまに「噺だけは」仕込まれたあかね。そこで彼女と私たち読者は、落語において大切なことを学ぶ。
あかねは落語の才能は明らか。しかし絶対的に知らないこと、足りていないことがあった。そこで志ぐまの弟子たちから「落語家」について学ぶことになる。まずは兄弟子のひとり、阿良川 享二(きょうじ)が教育係となった。
あかねは高校卒業前なので入門前ではあるが、意気揚々と前座修行をスタートさせた。しかし彼女は、雑用全般を行う前座修行に身が入らない。「落語には無関係だと思うか?」享二はあかねの思いを見透かしてこう言った。
落語家は相対するお客を喜ばせる商売だ。ならば目の前の師匠一人、兄弟子一人を喜ばせるために先へ先へと、気を回して動くのは当然である。この動きを落語家は“気働き”といい、大切にしているのだ。
この落語の神髄のひとつを聞いてもなお、あかねは落語で最も大事なのは芸の腕であるという考えを変えない。
ただ享二の出る寄席で特別に高座に上がることを許された彼女は、波立つような笑いを起こせなかった。子どものころから積み重ねて、身につけたものを出し切ったにもかかわらず。実はその寄席は高齢のお客さんが多かったが、あかねは客層に合わせた工夫ができなかったのだ。つまり気働きができなかったのだ。
「どうすれば相手の喜ぶ落語ができるのか考える」これが真打への道の第一関門だ。その先には圧倒的な天才、同世代の学生落語家との勝負が控えている。天井知らずのアツい展開の連続が待っている。