親会社に逆らえなかった東芝EMI

1988年8月6日、戦争で初めて使用された原子爆弾によって多くの人の生命が奪われた広島の平和記念日に合わせて、レコード会社の東芝EMIからリリースされる予定になっていた。

しかし、収録曲の「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」の歌詞が、原子力発電への不安や危険性を訴える内容だったことから、原子力発電事業を手掛ける親会社・東芝との関係が問題視されたとされる。

福島第一原子力発電所 写真/Shuterstock
福島第一原子力発電所 写真/Shuterstock

子会社である東芝EMIはそれにまったく抵抗できず、アルバム『COVERS』のリリースを中止にする。そして「素晴らしすぎて発売できません」という、普通に考えると意味が分からない新聞広告が、音楽とは場違いな経済面の片隅に掲載された。

パリの通信社は、意味不明のコピーとともに広告の形をとって、日本の有力紙の商況欄に掲載されただけで、理由に関しての説明は一切ないという、いつもながらの日本式が採用されていると報じた。

この事件は決定だけを重んじ、プロセスを相手に理解してもらおうという努力を怠る日本人のやり方が、国際的な場面だけでなく、国内でもまかり通っていたことを広く各国に知らしめることとなった。

そこから起こった様々な騒ぎのなかで、当時の日本のマスコミがどう反応したのかを改めて検証してみた。

報知新聞の芸能記者を経て音楽評論家になった伊藤強は、権力による世論管理の危険性について指摘していた。これは21世紀の今でも、そのまま通じる問題だ。

RCサクセションのLP 『COVERS』とシングルの「ラヴ・ミー・テンダー」の発売中止事件は、今更のように世論管理が行き届いている日本の現状を教えられたような気がする。「ラヴ・ミー・テンダー」なんて、聞きようによってはパロディである。しかしそれに対してさえも体制側は「きちんと」対応してくる。つい40数年前の日本を思い出させてくれるのだ。(伊藤強「放送批評」)

ロックが世界に大きな影響を与えた1960年代の後半に、音楽を語る活字の場として『ニューミュージック・マガジン』を創刊した、音楽評論家の中村とうよう。

清志郎がせっかくこうやって、とてもわかりやすい日本語で、日本化した外国曲集を作ってくれたのだから、このアルバムがロックに関心のない中高年サラリーマンたち(東芝社員も含めて)に愛され、みんなに歌われるといい。そのためにはぜひカラオケ・バージョンも発売してください。(中村とうよう「ミュージック・マガジン」)

 一方で、“大人”が読んでいる総合週刊誌には「たかがロック」と、いつもながらの底意地の悪い記事が目立った。

「アブネエ」と叫ぶのはいいけれど、今や電力の四割近くは原子力発電。清志郎のレコードもコンサートも、いってみれば原発の恩恵に浴し、電力の消費量を高めていないとは言い切れない。辻説法でもするのなら話は別だ。しかし、レコードで反原発を唱えることは、果てしない矛盾に陥りはしないか。(「週刊新潮」)

音楽の専門誌や業界誌は、基本的に音楽が好きな人たちが働いているせいもあってだろうが、忌野清志郎の切迫感や素直な表現に賛同する声が多かった。そのために発売中止の背景にあった親会社との関係、それに従うしかなかったレコード会社に批判的な目が向けられた。

何はともあれ、レコード会社が自ら表現の自由を規制した事は、ポップスの歴史の大きな汚点として記憶されることになるだろう。(北中正和「CDジャーナル」 )

東芝EMIというレコード会社は、ロックの根源を否定した。かつて自分たちが日本に紹介したビートルズ、わけてもジョン レノンの教訓は、ここではまったく生かされていない。そして日本のロック・ミュージックの退歩に力を貸したのだ。再度確認しよう。この会社のレコードは「素晴らしくないから」発売されているのだということを。(「中日スポーツ」)

こうした騒ぎのなかで矢面に立たされていた忌野清志郎が、表現者としていかに傷ついたのかが痛いほど伝わってくる文章が残っている。