人を蝕むモンスター物件
引っ越す時、家を買う時、前にどんな人が住んでいたのか、なぜその家を手放すことにしたのか、気になることはないだろうか。
結婚や転勤といった理由であれば安心だが、家族に立て続けに不幸があった等の理由だと、そこに不吉なものを感じて、「縁起でもない」という気持ちになったりする。
まして近隣トラブルがあったことが分かった場合には、自分も同じような目に遭う可能性もあるし、殺傷事件などがあった日には、犯人が現場に戻ってくる可能性もあることを思えば(松原タニシの『事故物件怪談 恐い間取り』を読むと、実際そうしたこともあるようなので怖い)、その不安感は根拠がないものとは言えまい。
ここまで目立ったことはなくとも、先住者が不幸続きだった家より、平穏無事に暮らしていた家に、できることなら住みたいと思うのが人情だ。
それは、家が人に及ぼす影響力の強さと共に、家には住んでいる人の「念」のようなものが宿ることを無意識に信じているからかもしれない。
「念」と言うと大げさだが、家というのは良くも悪くも住んでいる人の心模様……心の内を反映する。
「断捨離」の提唱者であるやましたひでこは、「家は人なり」といった趣旨のことを常々言っていて、実際、家を見れば、その人の性格はもとより暮らしぶりが分かるものだ。
乱雑な家には、乱雑な暮らしをしている人が住んでいる。乱雑な暮らしをしていると、家はますます乱雑になって……というループにはまる。その逆もあって、家を整えると、しばしば暮らしそのものが整ってくることは、やました氏の番組「ウチ、“断捨離”しました!」を見ていると分かる。家は、人間の皮膚か内臓のように、その人を形作るのだ。
そうした先住者の「記憶」が、家にはしみついていると、心のどこかで感じているから、人はそこに住まう時、先住者がそこを引き渡すに至った「事情」が気になるのだろう。
とはいえ、先住者がいくら乱雑な暮らしをしていても、次に住む人がすっきり綺麗な暮らしをすれば、家はおのずと整っていく。先住者がどんな暮らしをしていようとも、よほどの事件性がない限り、その「記憶」は受け継がれないはずだ。
それが普通なのだが、中には、ちょっとやそっとのことでは浄化されない、不吉なことが繰り返される手ごわい家というのもあって、理由としては風の通りが悪いとか、地形的に問題があるといった要素もあるのだろうが、何の理由も思い当たらず、それはもう先住者たちの「念」がしみついて「家」自体が人を蝕むモンスターのようになってしまったとしか思えないような、そんなオカルトめいた物件も、大島てるの事故物件サイトを見ていると、存在するように思う。













