惨敗ではない悔しさ
今大会の日本は、グループステージでオランダと引き分け、チュニジアに快勝し、スウェーデンとも引き分けて2位で突破した。結果だけを見れば十分に戦えていた。ブラジル戦でも、前半の入りや先制点に至る流れは、日本が世界と渡り合える段階にいることを示していた。
一方で、トーナメントの終盤、相手が圧を強めてきた時間帯に、どれだけ試合をコントロールできるかという課題は残った。逃げ切るのか、もう一度押し返すのか。ボールを持つのか、割り切って守るのか。その判断をピッチ上で共有し、実行するためには、個々の技術だけでなく、経験値と中盤の厚みが必要になる。
「守田待望論」は、その象徴だったのかもしれない。
つまり、守田ひとりがいればブラジルに勝てた、という単純な話ではない。むしろ問われているのは、想定外が起きたときにもチームの骨格を失わない編成だった。
遠藤が離脱し、ボランチの層が薄く見えたとき、そこに代替策は十分に用意されていたのか。強豪相手にリードした展開で、最後の時間をどう設計するつもりだったのか。
SNSでも、批判一辺倒ではない声が目立った。
「森保監督を責めたいわけじゃない。ただ、次はこういう選考のリスクも考えてほしい」
「ここまで戦えたのはすごい。でも、だからこそ細部の差が悔しい」
「日本は強くなった。だからこそ、ベスト8に行くための準備をもっと突き詰めないといけない」
この敗戦は、惨敗ではない。むしろ、日本代表が世界の強豪と互角に近い時間を作れることを示した敗戦だった。だからこそ、悔しさは大きい。届きそうで届かなかったからこそ、「あの選手がいれば」「あの交代が違えば」「あの時間帯を耐えられれば」という声が噴き出す。
4年後に必要なのは、その声を感情論で終わらせないことだ。守田英正の選外をめぐる議論も、個人攻撃や結果論で消費するのではなく、日本代表が本当に世界のベスト8、ベスト4を狙うための編成論として検証されるべきだろう。
ブラジルに1−2。結果は変わらない。
だが、この敗戦の意味は、これから変えられる。日本代表が次の大会で同じ壁の前に立ったとき、今回の「たられば」が、ただの後悔ではなく、未来への準備だったと言えるかどうか。その答えは、これからの4年間にかかっている。













