戦争と外交緊張のなかで戦った代表チーム
今回のイラン代表は、通常の出場国とは異なる環境で大会を戦っていた。米国とイランの関係は緊張状態にあり、イラン代表には入国や移動、滞在に制限が課されていたと報じられている。チームはメキシコのティファナを拠点とし、米国内での試合のたびに移動する形を余儀なくされた。
W杯は本来、選手たちにとって最高の舞台であるはずだ。だが、イラン代表にとっての北中米W杯は、サッカーだけに集中できる大会ではなかった。
もちろん、安全保障上の理由から開催国が入国管理を行うこと自体は、国際大会において避けて通れない問題でもある。だが、選手たちが背負っていたものは、単なる移動の不便さではない。国と国の対立、戦争の空気、政治的な視線。そのすべてが、彼らのプレーの背景にあった。
もっとも、イラン側が不満を示していなかったわけではない。エジプト戦後にイラン代表FWメフディ・タレミは、FIFAに対して厳しい入国制限や一部のチーム関係者・スタッフに米国ビザが発給されなかったことなどについて批判したと報じられている。
「大会の初めから、私たちはこうしたことに不満を訴えてきました。これは災難のようなW杯です」「(FIFAの)インファンティーノ会長は初戦後にロッカールームに来て、すべての問題を解決すると言いました。しかし実際には、FIFAは何もしませんでした」(メフディ・タレミ/イギリス紙『The Sun』より)
大会期間中の米国での滞在制限や拠点変更、ビザ問題、過酷な移動についても、タレミやガレノイ監督、チーム関係者はFIFAや開催国側の対応を厳しく批判していた。だが、エジプト戦後のロッカールームに残された言葉は、少なくともフェアプレーと敬意を前面に出すものだった。
このロッカールームに残されたメッセージは重みを持つ。彼らはチームとして「不公平だ」と叫ぶこともできた。VAR判定への不満をぶつけることもできた。最後の1枠を逃した悔しさやアンフェアな運営に怒りとして表現することもできた。
だが、彼らは最後にサッカーの言葉を選んだ。勝者でも敗者でもなく、尊厳を失わないチームとして、ピッチを去ろうとしたのである。













