20年越しに問われるサッカー王国との差
北中米W杯のラウンド32で、日本代表はブラジル代表と対戦する。
単なる決勝トーナメント1回戦ではない。これは、日本サッカーが20年かけて積み上げてきたものを、サッカー王国ブラジルにぶつける一戦である。
日本とブラジルのW杯での対戦を語るうえで、避けて通れないのが2006年ドイツW杯だ。
グループステージ第3戦。日本は玉田圭司のゴールで先制しながら、ロナウド、ジュニーニョ・ペルナンブカーノ、ジウベルトらにゴールを許し、ブラジルに1-4で完敗した。あの夜、日本は世界の頂を見たのではなく、頂までの距離を思い知らされる一戦となった。
当時、背番号10を背負っていた中村俊輔は、試合後に涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。後年、2006年大会を振り返ったインタビューで中村は、短く、しかし重い言葉で当時を表現している。
「俺は輝けなかったから」
その言葉は、当時まだ数少なかった欧州でプレーする日本のトップ選手が抱えた悔恨であると同時に、日本サッカー全体が抱えた現実でもあった。
技術はある。意志もある。だが、強度、判断速度、個の打開力、試合を支配する老獪さ。あらゆる局面で、ブラジルとの差は明らかだった。
あれから20年。日本はどこまで来たのか。6月30日のブラジル戦は、その問いに対する答え合わせになる。
日本代表を率いる森保一監督自身も、日本サッカーの歩みを体現する人物だ。1993年、ドーハでアメリカW杯出場を目前で逃した日本代表の一員だった。
あの時代、日本はまだW杯に出場したことがなかった。そこから1998年フランス大会で初出場を果たし、2002年日韓大会で初のベスト16、2010年、2018年、2022年と決勝トーナメント進出を重ねてきた。
現在の代表スタッフにも、その歴史は息づいている。1998年フランスW杯を戦った名波浩がコーチを務め、2002年日韓W杯で主将を務めた宮本恒靖は日本サッカー協会の会長としてチームを支える。
2006年ドイツW杯でブラジルに苦渋をなめた中村俊輔もコーチを務めている。さらに、2010年南アフリカW杯から出場を続けてきた長友佑都は、いまも代表メンバーとしてこの舞台にいる。
これは、森保ジャパンだけの試合ではない。













