個々の利益追求によって市場は機能不全に

これは単なる買い占めや投機ではない。むしろ、操業停止を避けるために手元在庫を厚くするのは、個々の企業にとっては合理的な防衛行動である。だからこそ、問題は厄介なのだ。個々の主体が合理的に自己防衛すればするほど、社会全体としては必要な物資が必要なところに届かなくなる。これが市場経済の生み出す「合成の誤謬」である。

合成の誤謬が生じた場合、手っ取り早い解決策は、不安払拭のために、川上の供給を現実に増やすことだ。だが、それが現状では難しい。タンカーが実際に安全に航行し、原油やナフサが継続的に届くという実績が必要なのだ。次の荷が届き、その次も届くという見通しが積み重ならなければ、予防的な在庫確保は続いてしまう。

イランのホルムズ海峡付近が、平常を取り戻す日は来るのだろうか
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ここにこそ、資源制約の時代に露呈する市場経済の限界がある。市場は、個々の主体に「自分の利益を最大化せよ」と命じる。つまり、社会全体として何が必要か、どこに優先的に配分すべきか、どの段階で在庫が偏っているのか、どの需要を抑制し、どの需要を守るべきかを把握し、調整する能力を市場は持っていない。だから、全体としては欠品、不安、買いだめ、出荷抑制という悪循環が生まれる。その結果、「全体としては足りているが、必要な時に必要なところに届かない」という形で、危機の瞬間に自由市場の限界が露呈してしまうのだ。

いや、そんなことはないという声があるかもしれない。自由市場こそ、危機への対処法を生む、と。たとえば、ナフサ危機が省資源化の契機にもなるという声がある。あるいは、ガソリンへの補助金もやめたほうが、電気自動車(EV)などのイノベーションにもつながるはずだという人もいる。そうした見方によれば、政府の余計な介入よりも、市場原理を貫徹させる方が、危機への正しい対処法になる。

しかし、価格上昇と企業努力だけに任せてしまえば、危機は深まってしまう。たしかに、価格が上がれば需要は抑制されるが、その時に削られるのが重要度の低い需要とは限らない。購買力の弱い中小企業、医療や修繕の現場、地域インフラ、生活必需部門が先に切り捨てられる可能性が十分にある。一方で、資金力のある大企業や富裕層の過剰な需要は温存される。これでは、資源節約ではなく、弱いところから切り捨てる市場の暴力でしかない。