内臓破裂かと思った、壮絶な落車

──在学中は全国高校選抜4位の結果を出し、その後プロの競輪選手になるため「日本競輪選手養成所」に進みました。養成所での生活はいかがでしたか?

約300日間の全寮制で、それはもう過酷でした。朝6時半に起床すると、外で点呼があって、「1、2、3、4!」と号令がかかります。夜は22時消灯で、21時にはテレビも消されます。

携帯電話は日曜日の2時間だけ触れるのですが、その時間にみんなが一斉に食堂で触るという感じでした。3人部屋でプライベートもほぼなし。ちょうどコロナ禍だったので外出も禁止でした。

高校時代の日焼けあと(本人提供写真)
高校時代の日焼けあと(本人提供写真)

──自由がまったくない生活ですね。休みの日はどう過ごされていたんですか?

休みの日は体力に余裕があれば卓球をしたり、DVDは送ってもらえれば観られたので、それを観たりしていました。あとはひたすら寝ているか、という感じですね。

──選手になってから大変だったことは?

生活リズムが崩れることですね。1シリーズは基本3日間開催なんですけど、ミッドナイト開催のときはリズムが完全に夜型になります。最終レースが23時スタートで、終わってから片づけをして、入浴してごはんを食べたら、だいたい深夜2〜3時。そこから昼の12時くらいに起きる生活が続く感じです。

逆にモーニング開催のときは、夜8時に寝て朝5時起き。まるで真逆の生活になるので、身体がなかなか追いつかないんです。ミッドナイトのあと生活リズムを戻すのが大変で、翌日の夕方まで限界まで起きて、そこで早めに寝てリセットしています。

養成所のときは生活がきっちり決まっていたのに、今は朝のレースがあったり、夜11時に走ったり。生活リズムを整えるのが大変で、いまだに慣れないですね。

──ガールズケイリンといえば、時速約60kmで走る危険を伴う競技のため、ケガも大変ですよね。これまでで一番大きなケガは?

あるレースで落車して、サドルが股関節にぶつかって、その衝撃で下腹部が裂けてしまったんです。大量出血で、最初はどこが切れているのかもわからない状態で、「内臓が損傷しているかもしれない」と言われました。看護師さんから母には「覚悟したほうがいいかも…」と伝えられたようです。

幸い、緊急搬送されてすぐに内臓の損傷が無いこともわかり、縫合してもらい、助かりました。たぶん新体操をしていて体が柔らかかったから、大事に至らなかったんだと思います。

──試合にはいつ復帰できましたか?

3〜4日後にはもう走ってました。休むほうがかえってツライんですよ。1週間も休むと筋肉が落ちるし、感覚も鈍る。現役でいる限り、長期の休みは取れないです。ガールズケイリンは入れ替わりが激しくて、出走機会や成績維持が重要なので、安易に休めないという事情もありまして。

──それだけの大ケガを経験しても、レースに対する怖さはありませんか?

ないですね。怖がっていたらレースにならないですから。私は「怖くない」って思うようにしてます。

──そうした日々の積み重ねが、2025年9月・弥彦F2ガールズでの初優勝につながったわけですね。

65回目の決勝で、デビュー4年目にしてやっと優勝できました。ここまで優勝できなくて苦しい思いもしてきましたが、本当に2025年はいい年で終われましたね。