「家に帰る」というキーワード
––––映画について話を戻しますと、監督が最後にキーとして出してくる「家に帰る」というワード。放り出されて寄る辺が無い姉弟で当てにする住所も分からず、要はただ迷い続けているのですが、この「家に帰るよ」という言葉でソミーラがシャフィを励まして旅を続けていく。
バングラデシュのロヒンギャの難民キャンプでは、ロヒンギャ語とミャンマー語を学ぶんですよ。そして必ずミャンマー国家を斉唱した後に勉強を始める。つまりあの110万人のロヒンギャ難民たちは、こんなひどい目に遭いながら愛国心を持ったまま、故国ミャンマーの家にいつか帰るために学習をしている。
で、将来の君たちの将来の夢は? と問うと、ほとんどの男の子がミャンマー軍に入りたいと言う。君たちを襲ってきた人たちじゃないの?と聞くと、だから僕たちが入隊してこんなことはやめさせるんですと語る。
こういう形で迫害を受けたら、報復するとか、ラカイン州は分離独立するぐらいのことを言うと思うのですが、ミャンマーという家に帰りたいというのですね。こういうロヒンギャのアイデンティティも監督自身が取材されている中で気づかれていたのでしょうか?
「そうですね。家に関しては本当にロヒンギャの人たちは、ミャンマーという国に対する思いというのが強烈にありますね。いつかは国籍を取り戻してミャンマー市民になるという悲願です。一方でそういう一世から生まれた在外の二世、三世の子供からすると、親の言っていることは分かるけど、その故郷というものが、生まれた場所も含めて様々にありますね。
要は迫害されて追われている民族にとって『家』とはいかに重いものであるか。僕は思いとしての『家』というのを映画としてすごく反映させたかったのです。だから取材中も撮影中もそこは意識的に積み重ねてきました。『家』への思いを共有して見てくれている観客の人とも連帯していきたかったのです」
––––ロストランドというタイトルはその家をなくした喪失感とリンクしていると思うのですが。
「まさにそうですね。やっぱり映画は痛みを描く芸術だと思います。お客さんたちには、彼らの痛みを客観的に見て、それが、自分たちの主観的な痛みになっていってほしい。ロヒンギャ以外の人にもあの言葉は通じると思うんです。故郷を失うという意味合いは、体を失うということと同義で、必然的なタイトルだったと思います」














